80年代にすでにウェブサービス?
キャプテンと言っても、船乗りの話ではない。電話に特別の装置を取り付け、テレビにつないでセンターに電話すると、画面に情報が表示され、それをキーボードで操作すると、天気予報やショッピングなどのサービスが受けられるものだった。そのまま英語を訳せば、「文字パターン電話アクセス情報ネットワークシステム」とでもなろうか。
まだパソコンは世に出たばかりで誰も持っていない。新しいサービスを始めるには、すでに家庭に普及している電話とテレビを利用して始めるしかない、という苦肉の策だったが、通話しかできなかった電話を介して各種の情報をやり取りできることは新鮮だった。ファクスが売り出されて、電話が通話以外の目的に開放された直後で、電話以外の機器を電話線につなげるようになった先にはコンピューターも見えてきた。
しかし現在見てみると、このシステムはインターネットそのものだ。ただ、まだアナログの電話回線で時間課金されて高額で、通信速度は現在の100万分の1程度で遅くて情報も少なく、なれないキーボードを使うハードルもあり、NTTがいくら未来のサービスと宣伝しても普及せず、10年後にはインターネットが出て来ると自然と消えていってしまった。
しかし、電話や電信しかなかった時代に、文字をやりとりし、どこかにあるコンピューターセンターを家庭から使えることは画期的だった。当時のコンピューターは大型電子計算機と呼ばれ、部屋ほどのサイズで、企業や研究施設の専門的な計算に使われており、ほとんどの人には無縁の手に触れられない謎の存在だった。
だからそんな専門家向けの機械を一般人が利用することは、いったいなにをする? という話になったのだ。当時思いつくのは、ニュースや天気予報、情報誌の扱っていた映画や演劇の案内、ショッピング程度の利用法だったが、クレジットカードの普及もまだまだで、ネット経由でビジネスなど想像もつかない時代だった。
そんな中で出てきたばかりのパソコンを端末として使う、「パソコン通信」というサービスが、現在のインターネットに近いものだった。キャプテンのような特殊な装置ではなく、小さな電子計算機だったパソコンは、情報を蓄積し処理もでき、プログラムを使うこともできた。
音響カプラ―(Doug McLean / Shutterstock.com)
当初はセンターに電話して通じたら送受話器をはめ込み、デジタル情報を音声に変換して送話口に流してやり取りする「音響カプラ―」という装置を使っており、通信速度は毎秒300ビットという信じられないほど遅いものだった。その後、電気信号をそのまま1と0の違う高さの音に変換して送受信するモデムという装置が出てきて、10倍ほどの速度になったが、高価でいろいろ細かい設定をしなくてはならず、ほぼオタクの趣味扱いだった。
パソコン通信はキャプテンのようにセンターにつないでデータベースの情報をもらうという使い方もできたが、その主な利用法は電子メールや掲示板で会員同士がメッセージを交換するというコミュニケーションを重視したシステムだった。