17世紀初頭に望遠鏡で最初に星を見た人がどう言ったかの記録は残っていないが、19世紀以降の新しいテクノロジーに関しては、その最初の瞬間を捉えた記録が残っているものもある。
1875年に電話を発明したグラハム・ベルの最初の言葉は、別の部屋にいた助手に呼びかける「ワトソン君、用事があるのでちょっと来てくれ」という味気のない連絡だった。
しかし電話に先立つ電子メディアだった電信を実用化したサミュエル・モールスが、ワシントンとボルチモア間で1844年に開通した回線で最初に送ったメッセージは「神のなせる業」という旧約聖書から取られた仰々しい言葉だった。それには、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と、人類初の月面着陸を果たしたアポロ11号のアームストロング船長が発した言葉のように、歴史の転換点を担っているという自負を感じさせる響きがあった。
意味不明な言葉で始まったインターネット
ところがその月着陸と同じ年に、電信の子孫のようなインターネットの原型ともいえるARPAネットで最初に送られたメッセージは、何とも拍子抜けする、味気のない「lo」という意味不明の2文字だった。
いまから半世紀前の1969年10月29日の夜10時半のこと、UCLAからスタンフォード研究所(SRI)を結んで、チャーリー・クラインという学生が、キーボードから「login」しようとコマンドを送ったのだが、「lo」と送った瞬間に先方のコンピューターが止まってしまい、ここで通信が途絶えてしまったせいだ。その後のやり取りも「test、test・・・」などという機能を検証する無味乾燥な言葉が続いたという。
このネットワークは、世界を変えるという使命感に燃える人々によってではなく、国防総省の研究支援組織ARPAからの資金を使って、締め切りに間に合わせようと必死にプログラムを書いて実験を行う学生によって作られ、当時は話題にもならず、これが世界中に普及して未来を大きく変えると予測した人は誰もいなかった。
ARPAという組織は、1957年10月4日にソ連が世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げることで、核開発では先行するがICBM開発で遅れたアメリカがパニックに陥って、国防総省が金に糸目をつけずに宇宙などの最先端技術開発を支援するために急遽作られた組織だ。
当初はミサイルなどの兵器開発に巨額の予算が当てられたが、ある意味ラッキーな話だが、それを支えるための裏方としてのコンピューターや通信テクノロジー開発にも、巨額の資金が使えることになった。
当時はまだコンピューターを学ぶ学生は少数で、彼らはメーカーごとに通信方式やOSが異なるコンピューターを相互につなぐのに苦労していた。各社のコンピューターは方言のようにバラバラな通信言語を話すため相互に会話できなかったが、ネットワーク側で通訳し共通語化してくれれば、どんな機種でも自由につなげられ、全国にある違うコンピューターの様々な機能を空いているときに共有できて便利だ、という発想で研究が進んだ。