直径8mのまるい池の中で、体長1mほどのチョウザメが底を這っている。九州山地のほぼ中央部、熊本県と境を接する宮崎県椎葉村(しいばそん)。日本三大秘境のひとつに数えられる山間の村に、チョウザメを稚魚から育て、その卵をキャビアに加工し、ブランド化を推し進めている会社がある。
椎葉村で河川や道路などの土木工事を請け負う鈴木組だ。建設業が主体だが、地域資源を活用した林業や農業なども手がける。チョウザメの陸上養殖は、鈴木組が2005年に参入した新規事業である。
宮崎市から車で約3時間。宮崎県北西部に位置する椎葉村は、平家の落人伝説が息づく隠れ里。
「最初に始めたのはヤマメの養殖です。宮崎県水産試験場と共同で02年から取り組んでいるのですが、水産資源保護のためとはいえ収支は赤字続き。そこで紹介されたのが、同じ淡水魚のチョウザメでした」
新規事業開発部長の鈴木宏明は、山深いこの地でチョウザメ養殖に乗り出した経緯を説明する。鈴木は創業家の3代目で、2021年2月に開催された中小企業の承継予定者によるピッチコンテスト「アトツギ甲子園」(主催:中小企業庁ほか)に鈴木組の後継ぎとして出場し、見事に最優秀賞を勝ち取った。
宮崎県日向市の高校から東海大学情報理工学部に進学し、卒業後、NTT東日本に入社した鈴木は、2年半で会社を辞めてフィリピンに語学留学する。留学前に実家の建設業を手伝い、養殖にも触れたことが地元へ戻る契機となった。
「長男ですが、はなから家業を継ぐ気はありませんでした。田舎は嫌いだったし、一次産業にも興味がなかった。大学で情報システムを学んだので、将来はITで起業したいと考えていました。ところが実家でチョウザメ養殖をやってみたら、新しく挑戦できることが多くて。田舎でもイノベーションが起こせる、とワクワクしたんです」
山の奥深くに構える1,500㎡の養殖場で、チョウザメ約1万匹を育てる。
IoT活用、生育分業化で死地切り開く
14年に家業に入り、チョウザメ事業を1人で担うことになる。そこから苦難の連続だった。心ないイタズラで、手塩にかけたチョウザメを一晩で失ったこともある。
「養殖池の給水バルブが閉められ、約230匹が酸欠状態になっていた。死んだチョウザメを泣きながらすくい出し、もう養殖なんてやめようと絶望しました」
だが、この事件がきっかけで18年、九州電力の通信子会社QTnetと組み、IoTを導入。携帯電話の電波が届かない山間部でもデータ送信ができる無線通信技術で、池の水位が急変したりするとスマホに警告が来る。管理は格段に楽になった。
育成方法の効率化でもイノベーションを生み出した。チョウザメは3億年前から存在する古代魚で、生命力の強い魚だが、稚魚の間は非常に弱い。また、採卵できるようになるまで8年以上かかり、1社での養殖はリスクが極めて大きい。鈴木は、稚魚と成魚で養殖業者を分けることでこうした問題を解決。「子牛と成牛で分業飼育する肉用牛の例を参考にした」と明かす。
谷川から引いた澄んだ水の中を悠々と泳ぐチョウザメたち。成魚はヤマメとともに大型池で飼育する。
さらに、近隣の日向市と美郷町で、廃校となった小中学校のプールで成魚の飼育を始めた。「活用法のなかった廃校プールを利用できれば、全国でチョウザメ養殖の可能性が広がる」と意気込む。今後15年で、全国の廃校100校のプールを活用し、世界需要の25%にあたる50tのキャビアを生産する目標を描いている。