コロナ禍だけではない。災害や事故はいつ襲ってくるかわからない。また、子どもたちが不登校や病気になってしまうことだってあるだろう。そんな「非日常」に陥った時、私たちは子どもとどう向き合うべきなのか。
多様な子どもたちの学びの実践からその答えを探るため、教育に携わるメディア有志によりオンラインで開催された連続講座「これからの教育のゆくえ」。東京大学名誉教授(教育学)の汐見稔幸さんが、ゲスト登壇者と重ねた対話のエッセンスから、いまおさえておくべき「学びの本質」に迫る。
(左上から時計周りに)佐藤敏郎さん、筆者、副島賢和さん、汐見稔幸さん
崩れたところから何を学び、どう生きていくか
コロナ禍において、大人たちは子どもの教育について何を心配してきただろうか。学校から出された宿題をきちんとこなすことができるか、その学年で学ぶべきカリキュラムが終えられるか、その成績がどのように評価されるか……。
さまざまな心配事はあったと思うが、私たちは、そうしたことの前に、目の前の子どものいのちに寄り添い、いまその子にとって「学び」がどのような意味があるかを考えていただろうか。
人間はこれまでも、危機に見舞われるたびに、安心して生きていくために必死に新しい文化を生み出してきた。汐見さんはそのことに触れ、次のように語った。
「生きるということは、平坦な道を歩くことではなく、たとえ倒れてもそこから必死に立ち上がることです。そこでは支え合いがなければ生きていけません。これからの教育は、挫折した時、つまずいた時に、支え合いながら、どう人生をつくり直すことを応援するのかに焦点を当てることが大事です。
子どもが積木を積み上げては崩し、また積み上げるように、崩れたところから何を学び、何を大事にして上を向いて生きていくのか。それが人間の生きる本来の姿だということまで戻って考えなければならない」
汐見さんは、私たちは再び立ち上がり、新しく積み上げる準備を応援しなければならないと説く。子どもたちの学びは、未来をつくるための準備でもあるのだ。
日常を奪われた子どもたちに、大人ができることは3つ
この日の登壇者の1人、副島賢和さんは、病気や怪我で入院しなければならない児童や生徒のための「院内学級」で、長年、子どもたちの教育に携わってきた人物だ。
入院すれば、学校に通うことができなくなる。免疫力が低下すれば家族にも会えない。運動を制限される子もいる。入院している子どもたちはそれぞれに事情は違えども、これまでもコロナ禍と同じような問題を抱えながら毎日を過ごしてきた。
院内学級では、学年も学校も異なる子どもたちが集まるため、「一律の学び」は成立しない。当初より「学びの個別化・多様化」が必要だった。
子どもたち1人1人の声に耳を傾け、どのような学びが必要かを考え、さまざまな制限のもとで教員や専門家、保護者が連携し、試行錯誤しながら教材をつくり、学びを確保してきた。