これに対して、佐藤教授も「そもそも言葉とは、そのままでは絶対に伝わらない」と同調。哲学者・鶴見俊輔の考え方を紹介した。
「言葉って、バーチャルリアリティの世界だと思うんですよ(したことをそのまま体感することは不可能だから)。そもそも、なぜ言葉が通じているのか、それ自体からして、実は非常に不思議なことじゃないですか。だからこそ、言葉の伝え方は非常に大事だと思うんです。
鶴見俊輔さんという尊敬する哲学者が『文章心得帖』のなかで、「いい文章の目安」について、1.誠実、2.明晰、3.わかりやすいの3つだと書いています。
誠実であるとは、流行りの言葉だとか、常識だとかに乗って書かないということ。明晰とは、自分が使う言葉はちゃんと説明できて、さらに他の言葉で言い換えられる、そういう奥行きを持っていなくてはいけないということ。
そして最後の「わかりやすさ」が一番手ごわい考え方で、面倒くさい概念だと言っているんですが、大事なのは、「わかりやすさ」が他人にとってだけではなくて、“自分”にとってもそう感じられないといけないということ。
自分の考えや思考に弾みをつけてくれるような力を持っているかどうか、それがポイントだと言っている。自分にとって考えさせる力とか動かす力が、相手も動かすことになるんだと」(佐藤)
SNSにおける問題にどう対処したらいいか?
SNSやインターネットの流行で、コミュニケーションの形も多様化している。そんな現代におけるコミュニケーションには、どんな課題や特徴があるのか。
佐藤教授は、「現代の」というと、スマホや SNSなどの新しい機器やサービスが可能にした新しいコミュニケーションに光が当たりがちだが、「うまく伝わらない」「空気感が共有されていない」などの我々が抱える問題は、ずっと昔からある課題だと指摘。
そのうえで、SNSでの誹謗中傷や既読スルー、即レスを求められるなど、現代のコミュニケーションにおける問題は、「情報を伝えること」「繋がること」ばかりにクローズアップし過ぎた結果ではないかと考察した。
しかし、こうした繋がることに価値を置きすぎるコミュニケーションが注目される一方で、コミュニケーションには「1人」でいることをきちんと生み出す側面もあるという。
その手段の1つが「読書」だ。黙読は、誰にも邪魔されずに自分1人の世界をつくることができる技術でもある。
「ドイツの歴史家であるW・シベルブッシュが、『鉄道旅行の歴史』のなかで、車内での読書がどう生まれたかという面白い議論をしているんですね。
かつての旅行はみんな馬車でしていた。そこでは、社交が礼儀になっていたから、周りの人と話さないといけなかった。馬車で一緒になるのは、少数の非常に限られた集団でした。
ところが、時代を経て、旅の手段が鉄道になると、恐ろしく多くの人たちと同じ空間で顔を突き合わせなくてはいけなくなった。社交をしようにも、共通の話題なんてないわけですよ。だからすごく苦痛なわけ。
車内での読書は、そうした社交を避けるために1番いい方法だったんだと。本を読んでいれば、相手をじろじろ見なくて済むし、自分の世界に閉じこもることができる。それが車内の読書の誕生の原動力だと」(佐藤)
1人の空間や時間をつくることができるテクノロジーは、我々の日常生活のなかにずいぶん入り込んでいる。佐藤教授は、こうして現代に生まれた「誰にも見られないひとりの場所」は、1人で考える安全な場所として機能する一方で、何処からも見えない個室として、安心して人を攻撃できる場所になりかねないとも指摘した。