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芸人であり作家でもある又吉直樹さん(左)と、東京大学副学長の佐藤健二教授(右)

コロナ禍によりコミュニケーションの「当たり前」は大きく変わった。私たちはこれから「言葉」の力とどう向き合っていけばいいのだろうか。 東京大学と吉本興業とがタッグを組み、オンライン特別講義シリーズ「東大吉本対話」を始動。3月7日に第1回特別講義が行われた。テーマは「言葉力」。考える、伝えるなどのさまざまな局面で、言葉を使いこなす力のことだ。

芸人であり、芥川賞作家でもあるピースの又吉直樹さんと、東大の副学長であり、社会学を専門とする佐藤健二教授による対談をレポートする。

面白い体験を面白く書けないのはなぜか?


まずは、「言葉の生み出し方、捉え方」についてだ。又吉さんは、芸人として漫才やコントなどをつくる一方で、小説やエッセイも執筆する。そんな彼にとって言葉は、伝達の方法であると同時に、創作の道具でもあるという。

お笑い芸人として、自分の身の周りで起きた「面白い」ことを人前で話す時には、その出来事をきちんと言葉で再現できなければ笑ってもらえない。ところが、実際にあった出来事をそのまま正確に伝えられたとしても、聞いた人は、実際に自分が「面白い」と感じた感動の7割くらいしか感じられないのではないか、と又吉さんは言う。

だからこそ、大切なのは伝え方だ。

「エッセイを書くときも、伝えたいことが現実と拮抗する、もしくはその現実を超えるものになっていないといけないと思う。どんな言葉を使えば伝わりやすくなるかはいつも意識している」(又吉)

そして、その伝えたいことが現実と拮抗する例として、こんなエピソードを語った。

「太宰治の小説で『富嶽百景』というのがあって、その中で、太宰と師匠の井伏鱒二が山を登るんですよね。でも実際に行ってみると、井伏は岩の上にいて退屈そうにしている。

それを見た太宰は、ある媒体でその時の様子について『井伏先生が放屁された』と書いた。それを読んだ井伏はあとで『いやこいてない。あれは太宰君の描写力』やと。その後も『2回こいた』『いや、こいてない』っていう論争が起きたんです。



井伏さんが実際に屁をこいたかどうかはわからないですが、太宰は『(井伏が)登りたいって登ったのに何を退屈そうにしてんねん』っていう感覚を、どういう風に読者に伝えるかを考えて、“放屁”という言葉を使った。それによって、現実と同じくらいの状況をつくり出したのかなと僕は読んだんですけど。そういうものが、僕にとっての表現であり言葉力なのかなと思っています」(又吉)

文=松崎美和子

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