キャリア・教育

2021.03.11 12:00

避難誘導中、津波にのまれた警察官たち 「逃げて、必ず生き残れ」の教訓

釜石警察署の署長として震災10年を迎えた仲谷千春さん 「署長の仕事は署員を幸せにすること」(3月10日、釜石市で)

「津波てんでんこ」。津波のときは一人ひとりが「てんでんばらばらに」逃げろ、という先人たちの教えだ。繰り返し津波に襲われてきた三陸地方で「人にかまわず必死で高台に逃げろ」と伝えられてきた。

東日本大震災では、多くの人が津波から逃げ遅れた。「そんなに大きな津波は来ないだろう」「まさかここまでは津波は来ないだろう」と思って、すぐに避難できなかった。子どもを迎えに行こうとしたり、高齢者を避難させようとしたりして、犠牲になった。

住民の避難が終わらない中で、「てんでんばらばらに」逃げることはできなかった人たちがいる。警察官だ。津波にのまれる現場にとどまり、最期の瞬間まで、住民を高台に避難させようと力を尽くした。

ときに危険を顧みずに人の命を助ける警察官の使命感と、人にかまわず高台へ逃げろという教えの間で、警察官たちはどうすべきなのか。

犠牲となった警察官は30人 教訓は



雪が降る中、行方不明者を捜索する警察官(2011年3月)

「自分のせいで同僚を死なせてしまいました。本当に申し訳ありません」。ある刑事は土下座して警察署長に詫びた。そして、署長は言った。「やめろ、おまえのせいじゃない」。

岩手県沿岸の大槌町で、住民への避難誘導の活動中、捜査車両ごと大津波にのまれた。外の様子を知ろうと、たまたま車の窓を開けていた。必死の思いでなんとか車からはい出たが、すぐに黒い水に流された。もがきながらつかんだのは、3階建ての病院の屋上のフェンスだった。同僚は脱出できず、捜査車両の中で亡くなっていた。

あの日、被災地の警察官たちは、大津波警報が発令される中で、ただちに住民の避難誘導にあたった。

地震による停電で信号が消えた交差点に立ち、交通整理を続けた者。公休だったが官舎を飛び出し、乗り込んだパトカーで高台への避難を呼びかけた者。津波がもう見えているのに、家族を助けに戻ろうとする住人を制止しようとした者。東日本大震災で犠牲となった警察官は30人に上る。

「警察官の使命をまっとうした」「危険を顧みず住民を守った」「崇高な精神を心に刻む」。彼らには、慰霊や祈りの言葉が捧げられている。

一方で、警察活動の現場では震災後、犠牲から教訓を得ようという指導に力が入れられている。

「30分で津波が来るなら避難誘導は最初の15分で終えて、逃げなさい。残りの15分は自分も高台に避難しながら、大声で避難を呼びかければいい」

若い警察官たちにそう教えるのは、釜石警察署の仲谷千春署長(58)だ。そして、いつもの例え話を続けた。「飛行機の客室乗務員は乗客より頑丈なベルトで固定されている。不時着した後、多くの乗客を機外に避難させるために生き残らなければならないからだ」。警察官も同じだ、という。

10年前は、海岸にパトカーを向かわせ、警察官が目視で潮位を確認し、無線で報告していた。仲谷さんは「今ではそんな危険なことは絶対にさせない」と話す。


がれきの中を走る泥だらけのパトカー(2011年3月)

「釜石署は現時点をもって壊滅した」


仲谷さんも、かつて一緒に仕事をした仲間を失った。「あの日、現場にいた者にしかわからない難しい判断があったはずだ。逃げ遅れた住民を見捨てられなかったのだろう」と仲間の最期を想像する。現在、仲谷さんが署長を務める釜石署でも3人の警察官が犠牲になった。

「釜石署は現時点をもって壊滅した」。あの日、みずから警察無線を手にした当時の署長が、岩手県警察本部に告げた。署長を含む29人は4階建ての庁舎の屋上に避難していた。留置場に勾留されていた3人の容疑者も一緒だった。

「本部で無線を聞いていた者たちは『壊滅って一体どういうことだ?』と騒然となった」。当時、本部にいた仲谷さんは振り返る。
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文=島契嗣

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