東日本大震災から10年 地震で家が傾いたときの公的補償と保険について考える

seksan Mongkhonkhamsao/Getty Images

2021年は、実は、震災メモリアルな1年だ。東日本大震災(2011年3月)が起きてから10年、熊本地震(2016年4月)から5年の節目の年にあたるためだ。

今回は、自分の記憶にある地震被害と、公的な補償、そして自分で備える保険の話をしてみたい。

傾いた家に住み続けると「健康障害」も


阪神・淡路大震災(1995年1月)では、地震の大きさを伝えるうえで、横倒しに倒れた阪神高速道路の映像は、まさに象徴的な光景であった。筆者の出身地は、あの高速道路のある神戸市東灘区。南は海、北は山に囲まれた街の山あいにある家で高校までを過ごした。

ちょうど震災があった時分は、都心の大学に進学・就職した私を追う形で、両親も東京に移り住んでいたため、難は逃れていた。生まれ育った家もすでに他の人の手に渡っていたが、やはり気になり、落ち着いたタイミングを見計らって様子を見に戻ったときのことは、いまも覚えている。

ひさびさに、わが家だった家を見たとき、何かが変だった。

様子を訊きたくて訪ねたお隣さんもお向かいさんも、全く気配がなかった。何が起きたのかも想像がつかず、気を揉みながらあたりを見て回った。しかし、誰も住んでいない界隈がそこにはあった。

後から知ったことには、地震で家が傾いたために、みな一時的に引っ越していたという。家は、傾くと住むのが難しくなることがある。人にもよるが、健康障害が生じることがあるからだ。

日本建築学会によると、新潟地震(1964年6月)や阪神・淡路大震災、鳥取県西部地震(2000年10月)、東日本大震災のあとに傾いた住居で暮らす人を対象にした健康障害調査で、めまいや吐き気、食欲不振・倦怠感、睡眠障害などの症状が報告されている

わが家があった地域の家々は、見た目はちゃんと建っていた。けれども、地震の影響を受けて生じた傾きが原因で、そのまま暮らすのは危険な状況だった。近所の人はしばらくの間、親戚の家に身を寄せたり、仮設住宅に入ったりしていた。

地震で家が傾いたときの公的補償


阪神・淡路大震災の当時、家が地震で傾いた際の公的補償はなかった。「被災者生活再建支援制度があるのでは」と思う人もいるかもしれないが、当時はまだなかった。

昔から、「個人資産である家などに対する直接支援に税金を投入しない」という基本的な考え方があったが、阪神・淡路大震災の被災後の生活の立て直しに想定以上の時間がかかったことを踏まえ、被災者に対する必要最小限のセーフティネット(公助)として1999年になって創設されたのが、被災者生活再建支援制度だった。

その後、新潟県中越地震(2004年10月)や東日本大震災など、大規模災害での経験を踏まえつつ、支援内容や支援対象の拡充などの改正を重ねている。直近でも、「被災者生活再建支援制度の在り方に関する実務者会議」での議論や報告内容を踏まえて、2020年12月4日の公布・施行で、中規模半壊世帯に対する支援金(図表1の5)が追加された形で改正されたばかりだ。

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出所:国土交通省「被災者生活再建支援制度の概要」より筆者作成
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文・図=竹下さくら

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