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朝日新聞外交専門記者

2月12日付労働新聞ホームページに掲載された朝鮮労働党中央委員会総会での模様

西暦79年、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋まったイタリア・ポンペイの遺跡には、住居のなかや壁など、あちらこちらに1万以上の落書きが残されている。商店の悪口や恋人へのメッセージなど、市民1人1人の素直な感情を表現したものが多いようで、落書きという性質上、「誰でも良いから、自分の感情を共有してほしい」「誰かに、自分の主張をアピールしたい」という思いが込められているのだろう。

最近、落書きではないが、これと似たような場面を何度か目撃した。場所は平壌。1月初めに開かれた第8回朝鮮労働党大会と、2月の党中央委員会総会での風景だった。朝鮮中央通信が配信した写真をみると、落書きの場面こそなかったが、出席者たちが一心不乱にメモを取っていた。同通信によれば、金正恩総書記は党大会で、のべ9時間にもわたって演説したという。9時間もメモを取っていたら、腱鞘炎になってしまう人もいたのではないか。

もちろん、メモは落書きと違う。メモは、誰かにアピールするための手段ではなく、忘れてはいけない重要な事を書き留める行為だ。

小学校の担任の先生から「これはテストに出しますよ」と言われ、慌てて板書をノートに書き取った記憶は誰にでもあるだろう。私も記者になってから、会食の際に、相手が「これは特ダネだ」と思うことを話してくれると、慌てて用を足しに出かけ、トイレの個室のなかでメモ帳に記録したことが何度もあった。あるときはメモ帳を忘れ、手首に書いて、何食わぬ顔で席に戻ったこともある。

だが、「1号行事」と呼ばれる、北朝鮮の最高指導者が出席する会合でのメモ行為は、むしろ落書きに近い。「金正恩氏の貴重なお言葉を忘れずに書き留める」というのがメモの本来の目的だろうが、実際のところ内容云々ではなく、「メモをしています」「私はこんなに最高指導者のお言葉を大事にしています」という姿勢を、周囲にアピールすることに意義があるからだ。

何しろ、些細な行動が「不忠だ」と批判されてしまうお国柄だ。2015年春に処刑された玄永哲人民武力相(国防相)は、その理由の一つが、金正恩氏が主催した会議で居眠りをしていたというものだった。金正恩氏が現地指導に出ると、随行する幹部たちは厳寒期の屋外であろうと、歩いて移動している最中であろうと、ひたすら正恩氏のお言葉をメモに書き留めている。

文=牧野愛博

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