なぜ、中国共産党政府はキリスト教をかくも警戒しているのだろうか。理由は過去の歴史にある。
今から180年ほど前の清朝末期、欧米列強によるアジア進出が活発化した。英国はインドで栽培したアヘンを中国に輸出しようとしたが、清はアヘンの輸入を禁止し、吸引者や販売者の死刑を執行しようとした。英国商人の保有するアヘンを焼却したのをきっかけに英国が軍隊を派遣しアヘン戦争が起こった。その結果、清が敗北し、2年後の南京条約では香港島の割譲、多額の賠償金支払い、上海、広州など5港の開港、治外法権などの一方的な不平等条約を締結することになる。
さらに、20世紀初頭、日清戦争で清が日本に敗北すると、西欧列強は清の弱体化を再確認した。ドイツ、フランス、ロシア、日本、米国などが中国における領土割譲、鉄道施設権、鉱山採掘権など利権を要求した。
一方、これと平行してキリスト教布教が進んだ。欧米各国から宣教師が中国に派遣され、多くの中国人信者を獲得したのだ。
中国共産党非公認の教会も増えている(Getty Images)
教会の生き残りをかけ、共産党と交渉した過去
第二次世界大戦後は1949年に共産党政府が建国された。共産党政府は欧米列強の中国侵略の歴史から外国勢力を徹底的に排除しようとした。中でもキリスト教は外国勢力と関係があるとみて、外国人宣教師を追放し、宣教団体が所有する学校や社会施設などを没収した。
このような中で、中国の教会は社会的に孤立し、経済的基盤を失い、存続の危機にさらされる。そこで、教会の指導者たちは教会の生き残りをかけて、新政府に新たな方向性を提案することになる。
プロテスタント教会は、「愛国三自運動」を立ち上げた。中国人自身で教会を支える(自養)、中国自身で教会を運営する(自治)、中国人自身で伝道する(自伝)の三つの自を提案した。
当時の政府側の責任者は周恩来首相で、これに賛同し、教会は存続できることになった。教会関係者は合意後、「如何なる帝国主義との関係を断絶する、教会の自立、新中国建設に努力すること」などを盛り込んだ宣言を発表した。
カトリックの教会も「愛国反帝国主義運動」を立ち上げ、中国共産党と社会主義政府に忠誠を誓った。中国は建国以来カトリックの総本山のバチカン市国と国交を断絶しているので、中国のカトリック教会は運営にあたって、プロテスタント教会よりも複雑で厳しいものがある。