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2020.11.25

「地球の歩き方」を直撃したコロナ禍という誤算 ひとり勝ちから一変 

Soloviova Liudmyla/Shutterstock.com


しかし、比較的長期の海外取材が自由にできる媒体は他になかったことから、ありがたい仕事だった。掲載内容の更新のために、現地に足を運んで地道に歩くという経験は、その国・地域の社会的な変化を定点観測できるという意味で貴重だった。

とりわけ、中国のこの20年間の変化は想像を超えるもので、訪ねるごとに町の景観や社会インフラ、生活サービスのみならず、そこで暮らす人々の意識が刻々と変転していくさまを目撃し、体感することになった。

取材のため、日本よりいち早く普及した中国のスマホ決済や配車アプリ、シェアサイクルも体験した。いまではさすがに下火になったが、街角に乗り捨てられた自転車を、アプリで鍵を開け、好きな場所で乗り捨てるという日本ではありえない中国ならではのサービスは、どれだけ取材や観光に便利だったことか。読者にも利用してもらおうと、「地球の歩き方」のページに写真を載せて解説したものだ。

それに比べ、日本はのんびりしたものだと常に感じていた。むしろ、そののほほんとしたところが、これほど多くのアジアの観光客から愛され、日本へのインバウンドの魅力になったのではないかと思いもする。

これまで「歩き方」が生き残れてきた理由


昨年、初の2000万人超えをしたといっても、日本人の海外旅行者数は1990年代半ばから25年間近くほとんど伸びていない。1600万~1800万人の間を上下するだけで、成長は見られなかった。

近隣アジアの韓国や台湾に比べても、日本国民の出国率は著しく低く、長く内向きの時代を送っていたのが実情である。2010年代には、もはや日本は「海外旅行大国」といえる地位にはなかったのだ。

それでも、「地球の歩き方」が生き残れたのは、同業他社のガイドブックが年々淘汰されていったことで、結果的にひとり勝ちの様相を呈することになったからだ。何より多くの国々をカバーする刊行点数が他を圧倒していて、書店の棚を押さえていた。

その「戦線拡大」があだとなったというのはたやすいが、同社は日本の長期デフレがもたらした「安近短」志向や旅行目的の多様化に合わせた派生シリーズもかなり世に出していた。
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文=中村正人

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