テレワーク拠点としての軽井沢が持つ「予期せぬ偶然」のチカラ

矢ケ崎公園から浅間山を望む。右側は大賀ホール (筆者撮影)


軽井沢のテレワークの歴史は古い。

軽井沢には明治時代から西洋建築のホテルが2つある。1894年(明治27年)創業の万平ホテルと、1905年(明治38年)創業の三笠ホテル(記念館として現存)だ。万平ホテルは宣教師はじめ西洋人が、三笠ホテルは政財界の重鎮が主に利用していた。

三笠ホテルは、当時の政財界の重鎮である渋沢栄一、大隈重信、近衛文麿、有島武郎、徳川慶久、徳川義親といった名だたる顔ぶれが宿泊、華やかな社交が行われたことにより、「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれていた。これが軽井沢のサロン文化の原点であり、テレワークの原点でもある。以来、大正から昭和と政財界の重鎮を中心とした別荘文化へと引き継がれ、テレワーク拠点としての確固たる地位を築き上げた。

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万平ホテル

テレワーカー急増の背景


1991年に別荘所有者である松岡温彦氏が、 『遊職人種宣言、リゾートオフィスのすすめ』(銀河書房)を、1998年には『人、われを「在宅勤務社員」(テレワーカー)と呼ぶ―本当の自分を取り戻すための52章 』(実業之日本社)という二冊の書籍を出版。この時代にテレワークの書籍を出版された松岡温彦氏の先見性は大変素晴らしいと言える。

以来松岡温彦氏は、軽井沢は仕事に最適な場所との考えで、住民、別荘所有者・移住者を中心にテレワークの勉強会、体験会、啓発活動を長期にわたり積極的に行ってきた。その結果、軽井沢では自然にテレワークが浸透していった。

1993年の上信越自動車道の碓井軽井沢IC開通と、1997年の長野新幹線(現北陸新幹線)の高崎~軽井沢~長野までの開通は大きな出来事だった。この頃から別荘所有者、移住者、二拠点居住者が増え始め、同時にそこでテレワークする人も増えた。(ちなみに昨年時点での軽井沢-東京の通勤定期保有者は600人弱。彼らは、最短で62分の軽井沢通勤を満喫している。定期券を持たず月に数回往復している人を含めると、1日1000人以上が軽井沢-東京を往復している)

このようにテレワーク人口が増えてきた状況の中で、2018年2月~5月には、一般社団法人軽井沢ソーシャルデザイン研究所が、首都圏の企業を対象としたリゾートテレワークの体験企画を4回主催、同年7月には、一般社団法人軽井沢観光協会、軽井沢町商工会が中心となって、軽井沢リゾートテレワーク協会を設立し、以来テレワークの啓発活動に積極的に取り組んでいる。
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文、写真=鈴木幹一

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