企業の保養所が点在する六甲山上
「メリットはなく、国立公園に指定してもらわないほうがよかった」と、1969年から20年間にわたり神戸市長を務めた宮崎辰雄も、自身の回顧録で書き記すような事態に陥ってしまったのだ。
ところが、ここにきて神戸市が大きく舵を切った。働き方改革やリモートワーク、さらにワーケーションが国内で拡大するなかで、六甲山をこれまでのように観光資源と考えるのでなく、山上の豊かな自然のなかで、自由に発想ができ、創造性を発揮できる「ビジネス空間」にする方針を打ち出したのだ。
まず、昨年12月に、これまで禁止してきた、民間保養所がオフィスへの改修ができるよう規制を緩和。さらに、その改修費を補助する制度も新設した。
今年5月には「六甲山上スマートシティ構想」を正式に発表。山上である不便さをドローンなど最新テクノロジーでカバーしていけるように、民間事業者の提案を公募して、社会実験ができる仕組みもつくった。
高速通信網がないという、リモートワークに致命的な欠陥もあったが、この12月には、神戸市が自ら光回線を引いてその難題も解決する予定だ。
両立なるか「国立公園」と「スマートシティ」
そんな神戸市が打ち出したオフィス改修の補助対象に、最初に選ばれたのは、シンガポールからの移住者であるテン・ジン・ユであった。彼は、シンガポールで国家公務員として公園の魅力づくりに携わってきたが、現在は六甲山上に住んでいる。
シンガポールから移住したテン・ジン・ユ氏
9年前に日本留学でMBAを取得したあと、東京で勤務しながら、北海道から九州までを巡って、ここにたどり着いた。軽井沢か六甲山で迷ったという。
彼は、六甲山頂付近に建つ、使われていない物件を購入して、リモートで働けるオフィスやコワーキングの整備を進めている。
テン・ジン・ユ氏がリノベーションした空間
「世界中を探しても、こんなに美しい自然がある山頂付近で、郵便局、銀行、公立の小学校と幼稚園があるという場所はない。車で15分走れば、病院やスーパーがある市街地にも行ける」
こう語る彼は、神戸市が発表したスマートシティ構想に感銘を受け、ここをクリエイティブな人材が活動する場にしようと決めたのだという。
実を言うと、六甲山の緑は、世界遺産に登録されている白神山地のような手つかずの原生林ではない。江戸時代に樹木が伐採され、はげ山となったが、明治以降の植林で人工的に取り戻したものだ。なので、これからも土砂災害対策や間伐で人の手を加え続けなければならない。
そこで神戸市は、使われなくなった保養所や別荘が小さなオフィスや工房に改造されることを後押しすることで、「国立公園」の緑の中にお洒落なカフェやレストランすら点在する「スマート」なエリアにしようとしている。
コロナ禍で見直された新しい価値観のなかで、都市集中社会とは一線を画した「代替案」を提案しているのだ。
とはいうものの、このような六甲山の魅力に着目したのが、今も昔も外国人というのは、なんとも神戸らしい。
連載:地方発イノベーションの秘訣
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