そんな折、私の友人も、徳島のとある素晴らしい取り組みと連携し、新しい事業を立ち上げるという。Google Japanで、初代フードマネージャーとしてフードチームを立ち上げ、大きく成長させた後、フードテックカンパニーのノンピの事業成長にも貢献した荒井茂太さんだ。
この夏、その荒井さんから突然「僕、ノンピを卒業して、とっても面白い仕事するんですよ。小竹さんも絶対見ておいた方がいいところだから、まずは一緒にいきましょう!」と誘われ、勢いのまま私も赴いた。
町の将来に必要な働き手や起業家を「逆指名」
そこは、徳島空港から車で約1時間弱、県のほぼ中央部にあたる神山町だ。昭和30年度には2万人を超えた人口も、かつて町を支えた林業が低迷し、人口の流出が止まらなくなり、4分の1ほどになってしまった。
ところが2004年、この豊かな自然の小さな町のほぼ全戸に光ファイバー網が整備され、安く、快適にインターネットが利用できる環境が整うと、IT系のベンチャー企業が古民家や馬小屋などを改装したサテライトオフィスを構えるようになった。
人口の約半数が高齢者で、県内でも一番年少人口率が低く、将来消滅する自治体と言われていた過疎地に、その頃から徐々に若い人の姿が増えはじめた。そして今や、神山町は、最先端の過疎地と呼ばれるまでになった。
神山町には、「お遍路さん」で縁のある十二番札所があり、昔から外から来た人、「よそ者」を受け入れる風土があったという。来るもの拒まず、去るもの追わず。自分たちの考えに固執せず、オープンに受け入れるから、「よそ者」も自由に意見を言える。そんなフラットな雰囲気に惹かれ、ITに限らず、アーティストや料理人、靴職人など、クリエィティブな職につく人たちが内外から集まってくるようになった。
デザインの仕事を手がける西村佳哲(よしあき)さんもその一人だ。東京生まれ、東京育ちの西村さんだが、2014年に東京と神山町での二拠点居住を始め、一般社団法人 神山つなぐ公社(2016年〜)に理事として参画している。神山つなぐ公社は、行政と民間、地元の人々と移住した人々とが連携した、町のより良い未来を目指す実働部隊だ。
神山町が面白いのは、西村さんが考案した「ワーク・イン・レジデンス」という仕組みにある。町の将来に必要と考えられる働き手や起業家を「逆指名」する仕組みで、例えば、石窯で焼くパン屋の開業を募ったり、この空き家ではデザイナーを募集、などと職種を限定したりすることで、住民が自分たちの描く希望に沿って、町をデザインしていけるのだ。
「町にどんなお店があればいいか」「どんな人に来てもらいたいか」と、地元の人々が西村さんのような移住者と一緒にアイデアを出し合い、募集をかけると、町の空き家がひとつずつ埋まっていく。「地元の人々も移住者も、まちづくりの“当事者”になることで、町には多様性がもたらされた」と西村さんは言う。