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現場からの医療改革

Carol Yepes/Getty Images

新型コロナウイルスの世界的な流行が続いているが、収束後は、世界は一変するだろう。私が従事する医療や教育の世界も例外ではない。最近、ポストコロナの教育を考える機会があったので、紹介したい。

9月25日から27日にかけて、神奈川県箱根町で開催された「High School Japan Cup 2020」という高校生のフェンシングの大会に医療スタッフとして参加した。筆者は選手や大会関係者の健康管理やコロナ感染のチェックを担当した。

この大会は、インターハイなどへの出場機会を得られなかった高校生たちに、試合の機会を提供しようと、フェンシングのオリンピアンが企画して、星槎(せいさ)グループ(以下、星槎)が応援したものだ。

星槎は、彼らが管理する星槎レイクアリーナ箱根を会場として提供し、グループのスタッフが裏方を務めた。筆者が参加したのは、星槎の井上一先生から誘われたからだ。

東日本大震災での星槎の手厚い支援


星槎は、中学から大学院博士課程まで通信教育を行う学校法人。このグループをつくり上げたのが宮澤保夫氏だ。

始まりは、1972年に立ち上げた鶴ヶ峰セミナー(現ツルセミ)という学習塾だ。井上先生はその塾の最初の生徒だった。その後、不登校児に対する通信制教育専門の教育機関として発展し、現在は約3万5000人が学ぶ。

筆者が星槎との縁ができたのは、東京大学医科学研究所在籍中の2006年に、財務省から出向していた中井徳太郎教授(現環境省事務次官)から「傑物がいる」と創始者の宮澤氏を紹介されたからだ。宮澤氏は強力な磁力を有する人物だった。一目で、そのパワーを実感することになった。

星槎と我々の付き合いが深まったのは、東日本大震災だ。星槎は、郡山と仙台に学習センターがあったため、福島県の浜通り地方に土地勘があった。震災直後から浜通りに入り、被災した子供たちの支援にあたっていた。

彼らの素晴らしいところは、宿泊所の確保から食事の調達まで、自力ですべてできることだった。しかも裏方のスタッフが力強い。私は、東日本大震災直後に浜通りに入った私のところの若い医師には、星槎の宮澤氏の携帯番号を教え、「現地に入ったら、この人に電話して、何事も相談するように」と指示していた。

私たちは現在に至るまで、浜通り地方で診療、医療支援を継続している。これは星槎なしではありえない。例えば、震災から6年間、宿泊所は星槎が運営する相馬市内の「星槎寮」を利用していた。

地元での放射線説明会などのロジスティックも星槎のスタッフに協力してもらっていた。

文=上 昌広

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