特集内からメディアリサーチャーの森旭彦氏がテクノロジーにおける「いいビジョンとは何か」をお送りする。
新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)の中で、私たちはテクノロジーの力を再確認することになった。テクノロジーは人々に自由を与えた。ロックダウンの最中、私たちはスマートフォンでバーチャルの美術展を訪れ、ゲーム「あつまれ どうぶつの森」の世界に没頭し、ビデオ会議システム「ZOOM」を使って友人と交流した。
しかし私たちは、その背後でテクノロジーが人々から自由を奪い続けていることに盲目だ。各国は感染者の追跡のために「監視の銃口」を国民に向けはじめている。テロ対策やスパイ活動のための監視技術が、感染者の監視に用いられているのだ。「The Diplomat」の報告によれば、韓国のスマートフォンと監視カメラ、データサイエンスを組み合わせた「コロナ患者ログ」には、特定の番号が振られた感染者がどこで誰と食事をしたか、コンビニをどれだけ利用したか、どんなアミューズメント施設を利用し、そこではマスクをしていたか否か、までが分単位で記録されていたという。
こうした技術は、パンデミック終焉後も企業や国家に使われるに違いない。ポスト・コロナの高度監視社会化は、メディアスタディでもっぱら批判の的になるだろう。「監視資本主義」の識者として知られるハーバード・ビジネス・スクール名誉教授ショシャナ・ズボフの言葉を借りれば「監視・制御に使用できるすべてのデジタルアプリケーションは、監視・制御に使用される」のである。
私たちはつかの間の自由さえ与えられていれば、ここ数年のトレンドであった「テックラッシュ(テック大手への反発)」を簡単に忘れてしまう。それこそがテクノロジーの脅威なのかもしれない。
こうしたテクノロジーによる監視・制御は、私たちの生活空間の隅々にまで浸透している。それは意識しなければ、私たちが知覚すらできない、透明な自然環境のようなもの、いわば「セカンド・ネイチャー」である。これから私たちが求めるテクノロジーは、いわば「人工の自然」のサバイバル・ツールとして生み出されるのではないか。