ビジネス

2020.09.29 17:00

なぜ成長を続けられるのか 富士フイルム・古森会長がいま明かす企業経営の真理


何かが起きる前提で手を打つ


主に営業畑を歩んできた古森が社長となった2000年、「IT革命」が新語・流行語大賞を受賞している。写真の世界にもデジタル化の波は押し寄せ、フィルムを充填して撮影するカメラがデジタルカメラに置き換えられ始めていた。カメラを扱う雑誌などでも、当初は「カメラ」といえばそれはフィルムカメラを指していたが、徐々にデジカメと明確に区別するために「フィルムカメラ」や「銀塩カメラ」など、写真も「銀塩プリント」などと表現されるようになった。

この変化はもちろん、富士フイルムの財務状況に大きな衝撃を与えた。

「これはいかん」

古森がそう感じたのは、社長就任の前、写真感光材料が頂に向けて伸びていた最中だった。急速なデジタル化を客観的に見ていた古森は危機を予見し、それは的中した。

「ピークから5年のうちに赤字。毎年、売り上げも利益も20〜30%、落ちていった。ですから、会社をつくり直そうと」

ハーバード・ビジネス・スクールの教材をはじめとした経営学のテキストでたびたび取り上げられるのが、この“第二の創業”だ。

片方ではリストラを進めながら、片方では失われつつある大黒柱に変わるものを社内にいくつも探し、大きな投資をしてきた。2000年から年間2000億円を超える研究開発費をつぎ込み、06年に横断的な研究の拠点として富士フイルム先進研究所を開設したことは語りぐさになっている。

「自分たちがどんな力をもっているか。資金もそうだけど、特に技術と社員、そのなかで何ができるかを、独自に考えてやっていくしかなかった。そういう、“当たり前”の話です」

培ってきた化学の技術を生かして周囲を驚かせながら化粧品ビジネスに参入し、液晶ディスプレイ用の光学フィルムや半導体材料事業を強化し、いつの間にか写真フィルムメーカーから、フィルムを含む化学材料をベースにした、いろんなことをやる会社=多角化に成功した企業へと変貌を遂げていた。06年には持株会社制への移行に伴い、それまでの社名・富士写真フイルムを富士フイルムへ改めてもいる。さらにはM&Aによって、登山口からではなく五合目から頂を目指そうと、化学品以外の分野も強化した。そのひとつが医薬品だ。

もともとアビガンの開発を行っていたのは富山化学工業(現社名・富士フイルム富山化学)だ。その富山化学を、富士フイルムは2008年に買収した。同社が富山化学に狙いを定めたのは「感染症に非常に強かったから」と古森は振り返る。買収金額は「1000億円以上」。医療領域で、診断だけでなく予防や治療も手がけていこうとの決断だったが、買収後、富士フイルムの株価は下落。その原因を、当時の富山化学の経営状況と買収金額の乖離に求める声も聞かれていた。

結果として、2008年以降、新型インフルエンザや中東呼吸器症候群(MERS)、エボラ出血熱などの流行を経て、現在を迎えている。グローバル化により人の移動が増え、ひとたび感染症が発生すれば瞬く間に拡散することは自明の理だった。

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こもり・しげたか◎1939年、旧満州生まれ。東京大学経済学部卒業。63年富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)入社。主に印刷材料や記録メディアなどの部門に従事。96年富士フイルムヨーロッパ社長。2000年代表取締役社長。03年代表取締役社長兼CEO。デジタル化の進展に伴う写真フィルムの需要減少を受けて事業構造を転換し、企業変革を成功させた。12年6月より現職。著書に『魂の経営』(東洋経済新報社)、『君は、 どう生きるのか』(三笠書房)。

文=片瀬京子 写真=ヤン・ブース ヘアメイク=内藤 歩

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