ボブ・ディランのバックバンドからロックの革命児へ THE BANDの栄光と苦悩

THE BAND 1969年アメリカの人気番組The Ed Sullivan Showにて(Getty Images)

「私たちは独立記念日におまえを腕に抱いて歩いた/そして今のおまえは私たちを放ったらかしにしたまま避けている/ああ、この太陽の下のどこに父親にそんな仕打ちをできる娘がいるのだろうか/手となり足となって仕えるべき父親に『ノー』言葉しか聞かせてくれないなんて」

これを読んで、どこの頑固オヤジの嘆きかと思った人は多いだろう。でも実はこれ、ロック史に革命をもたらしたとされるザ・バンドのファーストアルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』のオープニングを飾る『怒りの涙』の歌詞なのだ。

今回取り上げたいのは、このバンドの軌跡。筆者の長谷川町蔵がザ・バンドの名曲から選曲し、プレイリストを作成した。記事のお供にしていただきたい。



ファーストアルバムがリリースされたのは1968年。世界中の若者たちが大人たちに反抗する運動が最高潮に達した年だった。その震源地であるアメリカ合衆国では、若者たちが、ベトナム戦争反対やマイノリティへの差別撤廃を訴えるヒッピーになるのが普通のことになっていた。そんな最中に親の心情を切々と歌うロックバンドが現れたのである。

しかも彼らには強力な後ろ盾がいた。あのボブ・ディランだ。フォーク・ムーヴメントの旗手だったディランはやがて自身の音楽性をエレクトリック化。ロックバンド、ホークスを従えて精力的なツアーを展開した。フォーク由来の複雑な歌詞を乗せたディラン流ロックナンバーはロックの可能性を一気に広げ、ヒッピーたちに愛されたが、ディラン自身はその革命に参加しなかった。

ディランは1966年にバイク事故で大怪我したのを機に、ニューヨーク郊外の農村ウッドストックに引きこもってしまったからだ。その暮らしぶりは時折ホークスのメンバーとレコーディングしているとの噂だけが流れたほかは、全てが謎に包まれていた。実はザ・バンドは、そのホークスが改名したグループだったのだ。

どこか懐かしくも斬新な「新しいアメリカのロック」の誕生


ザ・バンドは歌詞だけでなく音楽面でも流行の正反対だった。当時のロック界は、多重録音や即興演奏をフィーチャーしたサイケデリック・ロックの最盛期。いわばエルヴィス・プレスリーからどれだけ遠くに行けるかを競い合っていた。しかしザ・バンドはエルヴィス以前のブルースやカントリーの要素を深掘りした音楽を演奏していたのである。それがどこか懐かしくも斬新に響いた。
次ページ > トロントで磨かれた「ルーツミュージック」色

文=長谷川町蔵

ForbesBrandVoice

人気記事