火星人の写したグローバル・ビレッジ

Artsiom Petrushenka / Shutterstock.com


また1950年代の冷戦時代には、全米の空をカバーするレーダー網(SAGE)が作られ、その中で特定されない飛行体を未確認飛行物体(UFO)と分類するようになったため、これを宇宙人の乗った空飛ぶ円盤だとする説が広まった(対象を特定できることで、初めて未知のものの存在も意識できた)。

近年はケプラー宇宙望遠鏡などによって、銀河系内にいくつも生命の生存する可能性を備えた惑星の存在が観測されているが、いまのところ宇宙人は現れておらず、テクノロジーを駆使すればするほど、巨大な銀河の端の小さな星に生息する孤独な人類の姿が、より遠くからさらに小さく見えるばかりだ。

地球全体が一つの村に


人類はいまだに地球を前提とした自己中心の天動説的意識で生きており、コペルニクスやガリレオが何と言おうが、太陽は東から出て西に沈むものであって、自分がその周りを回っている実感はしない。

おまけに地球は丸いと初めて実感したのも、やっと50年ほど前に月に向かう宇宙飛行士が地球の写真を撮ったからだった。そこに写った地球は確かに丸く、もちろん国境もなく、暗い宇宙の背景の中で青く美しく唯一生きている存在に見えた。

近年は国際化やグローバリゼーションが叫ばれているものの、それらは言葉に過ぎない。ネット社会では、見たことも触ったこともない数多くの事物に出合うが、言葉だけが増殖してリアリティーの感覚は希薄になっていく。どんな科学理論も、丸い地球をそのまま写した写真の説得力には敵わなかった。

こうした火星から己の姿を見るような視点の転換の重要性に気づいたのは、スチュアート・ブランドという一人のヒッピーだった。1960年代の学生運動や反戦運動、ロックやドラッグに象徴される、親世代の古い価値観に反対する戦後生まれの若者が展開するカウンター・カルチャーの中で、宇宙開発の成果を国民に還元せよと、NASAに地球の写真を公開するよう1966年に運動を開始した。

そうしてブランドは、この写真を表紙に使ったヒッピー向けのカタログ「Whole Earth Catalog」(1968)を出し、若者の圧倒的な支持を得たことは以前の回で述べた。スティーブ・ジョブズが「紙のインターネット」と呼んだ、情報シェアの広場のような役割を果たした雑誌で、これを読んだ若者は70年代になってその夢をパソコンやシリコンバレーのベンチャーへと転換していった。


モントリオール万博アメリカ館のジオデシック・ドーム Photo by George Rose/Getty Images

この時代には、地球全体が宇宙を旅する全人類が乗った船に見えると、「宇宙船地球号」という概念を唱え、モントリオール万博(1967)のアメリカ館のジオデシック・ドームで注目されたバックミンスター・フラーなども活躍し、世界の意識は国家間を超えて地球全体の環境問題にまで及んでいった。

そうした時代の気分を受け、世界は「グローバル・ビレッジ」(Global Village)になったと説いたカナダの文学者マーシャル・マクルーハンは、いまでこそ誰もが話題にするメディアというものを初めて正面から取り上げ、当時はニュートンやダーウィンにも匹敵する人物として世界を席巻した人で、モントリオール博では彼のメディア理論に影響された、初のマルチスクリーン展示も話題となった。
次ページ > 人類全体が友人になれるのか

文=服部 桂

ForbesBrandVoice

人気記事