新型コロナと共に拡大する「いきすぎた同調圧力」との付き合い方

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7月31日、小池都知事は、都内で新たに463人を超える新型コロナウイルス感染者が確認されたと発表した。東京都では4月17日の206人をピークに、徐々に新規感染者数が減り続け感染拡大の抑え込みに成功したかに見えたが、7月に入ってからは連日100人以上の感染拡大が続いている。第二波が来たとも報じられる。

夏季休暇シーズンでどこか出かけたいところであるが、外務省も6月29日、「日本における新型コロナウイルス感染症に関する水際対策強化」を発表。海外からの渡航者の自己隔離要請や入国拒否など、まだまだ外出は自粛ムードにある。

私が住むイギリスは、7月に入ってからの日毎の新規感染者数は1000人を切るようになった。7月24日以降は店内におけるマスク着用義務もルール化、8月3日からはEat Out to Help Out Scheme(外食補助キャンペーン)も施行され、慎重を保ちつつも外出することは可能になってきた。

一方で、新型コロナウイルスによる外出自粛の中、さまざまなところで同調圧力が生まれ、息苦しく感じることが多い。最近、友人と会話をするときに「こんなこと言ったら批判されるけれど」「ほかの人に見られたら怒られそうだけど」という前置きをよく耳にする。誰しもが少なからず他人の目を恐れているような気がする。外出自粛が甘い人のSNS上の投稿を見回る「コロナ警察」という言葉もあるぐらいだ。

もちろん、みんなで行動することで軽率な行動への抑止力にも繋がり、感染者数が多い他国と比較しても低い数字を維持していることは少なからずあると思う。自分自身や家族を守るためにも、不要不急な外出は極力避けたい。

しかしながら、いきすぎた同調圧力は下記の3つの恐怖が潜んでいるように思う。自覚することがあれば気をつけていきたい。

1. 自己肯定感が下がる


世論や錯綜する情報が「〇〇するべき」と言っているのに、それがさまざまな要因によりできていない自分がいたとき、急に不安になる。一刻も早い新型コロナウイルスの終息のために、みんなが一丸となって行動することも大切であるが、この同調圧力がいきすぎてしまうと、例外を許さない雰囲気が生まれてしまい、「どうしてもみんなと同じ行動ができない人」として自己肯定感を下げてしまう可能性がある。

たとえば、外出自粛により孤立してしまい、人との会話が激減して寂しい思いをする単身居住者、心配する家族を家に残し毎日満員電車で通勤する医療従事者や銀行の窓口勤務の人、職を失うかもしれない不安を言えないまま家族と家で過ごす人、家庭内での関係性が変わりDVや虐待に苦しむ人……私の身の周りにも、家にいる家族のことを気遣い、ホテルの部屋から通勤している、最前線で働く友人もいる。

一人ひとりがそれぞれの状況の中で日常を過ごしていて、一辺倒に全員に「家にいるべき」とも言い難い。前述のとおり止むなく外出や出張が必要であったり、家に1日中いることが難しい人もいる。

これらの行動が一律に批判されたり、または批判を恐れたりして本来の自分を見失うこともある。過敏に周囲の目を恐れたり、やむを得ずとも自分を認められなくなり、自己肯定感が極端に下がってしまうことが怖い。
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文=蓮見勇太

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