坪田はいま、8月末に向けて、さらに利用者がより手軽に登録でき、店舗側もキャッシュレスやペーパーレスの仕組みとも連動できる、双方のメリットを高めるバージョンアップを準備中という。
大阪府はまた、医療崩壊の現実のリスクに直面して、それまでバラバラだった医療関連データを関係機関がリアルタイムで共有できるシステムを新たに構築した。恐らく公共機関としては日本で初めて、現場で試験運用しながらのアジャイル開発を行った。
「4月に感染者が急増した際、大阪府は全国に先駆けて、医療崩壊を防ぐために、患者を自宅療養やホテル、医療機関、さらに重症者はICUなど、症状に合わせて振り分ける『トリアージ』の考え方を取り入れました。それには患者を症状に合わせて異なる機関に移動させる必要がありますが、情報がバラバラだったため、その管理に府の職員や保健師たちが膨大な時間をとられていました。
また、受け入れる側の医療機関にとっても大変だった。そこで、府の健康医療部、保健所、民間企業、スマートシティ戦略部が一体となって、患者の健康状態や医療施設の状況を関係者がリアルタイムで共有できるシステムを4月中旬に作りました」(坪田)。
現場に行って分かったのは、患者への聞き取り調査に、保健師がかなりの時間を取られていたことだ。そこで、少なくとも症状の軽い人には自分のスマホから自動的にプルダウン方式で入力してもらう仕組みも追加した。保健師のワークロードを相当軽減することができた、という。
一方、坪田は、保健所が疫学調査で聞き取っている情報はかなり精度が高く、オープンデータとして研究所や民間企業が分析に使えないのはもったいない、とも感じている。こうした行政に蓄積された膨大で質の高いデータの「見える化」は、坪田のそもそもの本務である「スマートシティ」戦略にも通じる。厚生労働省が主導して開発し、6月初旬に運用が開始された「HER-SYS」とのシステム統合も、地域行政ならではの課題だ。
坪田は、長年勤めた日本IBMを今年3月31日に離れ、感染拡大の真っただ中の4月1日に着任した。国はもとより、これまでの行政感覚を超えたスピード感をもって進められているのは「(吉村)知事の即断即決が大きい」と話す。知事は自分が理解できるまでとことん話を聞き、会議も延長して、最後には先延ばしにせず決断するという。「IBM時代には企業のDXを担当し、多くの企業トップとも仕事をしましたが、即断即決という意味では、あんな人は見たことがない」と坪田は言う。
一般的に、ボトムアップだと調整文化が強くなる。坪田自身も、緊急事態ということもあり、トップダウンで対策に猪突猛進してきた。「しかし、今になって振り返ってみると、部下が他の部局と調整するのにものすごく苦労していた。部下は大変な思いをしていたんだな、ということを最近になって知りました」。
日本IBM時代の2011年、東日本大震災が起こった。多くの外資系企業の顧客から、電力不足や放射能への恐れから東京から転出したいという要望があり、それらの企業に大阪を紹介した。当時、大阪は地盤沈下といわれ、経済的にも落ち込んでいたが、それを機に色々調べてみると、潜在的な可能性を感じた、という。製造業大手もいる、先端技術を持つ中小企業、大学研究所も集積している。何よりもこれからさらに台頭してくるアジアや中国にも近い。「いつかは故郷である大阪の役に立ちたいと思うようになった」。自身の想定よりも早く、そのタイミングは来た。