そのあと興味深いことが起きた。赤の他人が選んだ単語を被験者グループに見せ、プロニンは同じことを問いかけた。この見知らぬ他人の単語の選択について、あなたはどう思いますか? すると、被験者たちの考えが180度変わった。
「B_ _KはBOOKになるのが自然だと思うので、この人はあまり読書好きではないようですね。BEAK(くちばし)はかなり珍しい選択肢で、もしかすると意図的にあえて選んだ可能性があります」「誰であれ、虚栄心が強そうですね。でも、性格は悪くないと思います」
どうか忘れないでほしい。このような発言をしたのはまさに、タスクになんらかの意味があることを直前まで否定していた人たちだ。
「はっきりした目標を立てて行動し、競争の激しい環境に身を置くのが好きな人だと思います」「おそらく、この人は人生にかなり疲れているのではないでしょうか。それと、異性と密接な関係を築くのが好きなタイプだと思いますね。ゲーム好きかもしれません」
「この単語補完は、わたしの性格について何も教えてくれません」と先ほどまで言っていた人が、こんどは赤の他人についてこう指摘した。
「この女の子は生理中だと思いますよ……あと、彼女自身か知り合いの誰かが、不誠実な性的関係にあると感じているはずです。WHORE(売春婦)、SLOT(「ふしだらな女」を意味するSLUTに似ている)、CHEAT(浮気)という単語を選んでいますからね」
似たような回答が延々と続いた。自分の意見との矛盾について、誰ひとり微塵も気づいていないようだった。
私が選んだGLUM 、HATER 、SCARE 、ATTACK 、BORE 、FLOUT 、SLIT 、CHEAT 、TRAP 、DEFEATを見たら、誰もが私の人間性について不安を抱くにちがいない。
実験を行なったプロニンはこの現象を「非対称な洞察の錯覚」と呼び、次のように論じた。
「相手が自分を知るよりも、自分のほうが相手のことをよりくわしく知っている」「自分にはより優れた洞察力があり、相手の本質を見抜くことができる(相手にそのような洞察力はない)」──このような確信によってわたしたちは、もっと相手の話を聞くべきときに自分から話をしようとする。さらに、「自分は誤解されている」「不当に判断されている」という確信について他者が話すとき、わたしたちはなかなか忍耐強く対応することができない。
これこそ、核心にある問題だ。私たちはみな、薄っぺらな手がかりにもとづいて他者の心を見抜くことができると考え、機会があるたびに他者について判断を下そうとする。当然ながら、自分自身にたいしてそのような態度を取ろうとはしない。自分たちは繊細で複雑で謎だらけ。しかし、他者は単純。
私があなたに何かひとつだけ伝えることができるとしたら、これにしたい──あなたのよく知らない他者はけっして単純ではない。