「足りない」ままでいいのか 音楽の現場が模索すべきニューノーマル


コロナ禍をより豊かな音楽の現場を生む契機に


なにが用意されていなかったか、そしてこれから何を用意しなくてはいけないかを明らかにしたのも、コロナ禍の功罪だ。音楽の楽しみ方の新たな選択肢の一つとして、そして非日常の場としてのフェスではなく、日常の延長にあって田舎から都心まで出向かなくても参加できるイベント。同イベントはコロナ禍がもたらした状況に最適化するために生まれたが、このようなイベントは、思えばそれ以前から求められていたものだったのではないか。
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「コロナ禍になって僕が思い出したのは、社会人になって初めて東京から山形に移住してきた時のことだったんです。田舎は都心に比べてイベントが少なくてやることがない。どこにもいけなくて寂しいしつまらない。

『岩壁音楽祭』は小規模でも各地で開催されるイベントが増えて欲しいという思いでやっているので、運営についてのノウハウを広く共有するために情報はすべてオープンソースにしているんです。

僕が山形に来たときに感じたことを、今はみんなが感じているとしたら、感染リスクに怯える人も地方の人も、みんなが気軽にイベントに行けるイベントが各地に増える未来になればいいなと思います。過密や一極集中といったものの代替としてこの『DRIVE IN AMBIENT』があるのかもしれません」
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変化は小さい現場から現れるものだが、それがメインストリームに吸収されていくというのが従来のカルチャーの構図だった。だが、小規模のままだから担保できる持続可能性にもっと目を向けるなら、上流から下流へ流れ裾野を広げる水平的な構図ではなく、垂直型に価値を掘り下げ多様なニーズに応えるコンテンツが身の回りに溢れている、そんな世界を目指す機運はより高まっていくのかも知れない。

文=三木邦洋、編集=千野あきこ

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