「データは誰のもの?」は成り立たない。個人の権利と公共性の両立へ

世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター ヘルスケア・データ政策プロジェクト長の藤田卓仙氏


──APPAが提案する「データの利用目的を軸に考える」方法について教えてください。

詳細はホワイトペーパーに説明したが、データには所有権という観念はない。有体物ではないので、複数の人が同時に持つこともできるし、さらにそれを増やすこともできる。

例えば、カルテに書かれた医療情報は誰のものかという議論がある。書いた医者のものか、受診した患者のものか。この問い自体がナンセンスだ。医者のものであり、かつ患者のもので問題ない。大切なのは誰が主体として管理し、どういった条件で誰がアクセスできるかだ。

また、現在の個人情報の扱いでは、同意さえ得れば好き勝手にデータが使えるという誤解が蔓延している点も課題だ。

APPA(社会的合意に基づく公益目的のデータアクセス)は、「社会的同意」つまり、民主的な過程を経て人々のコンセンサスがまず一番のポイントになる。形式的な同意を個々人にとるのではなく、プライバシーと人権の保護を前提に、社会的同意のもとで、一定の条件でさまざまなデータを活用できるようにする。

コンセンサスをとる方法はさまざまだが、法律を策定してそれに基づいて決めたり、民間でガイドラインをつくって決めたりする方法もあるだろう。重要なのは、データは原則としてデータに関わっている、全員のものであるという前提に立ち、関係する全員の話し合いで決めるということだ。

ただし、毎回議論することは大変なので、信頼できる機関にデータのコントロールや許諾を委託する。実際の運用状況を含めて、中立的に監視する第三者機関を設置する。

──中立的に監視する第三者機関というのは、どのような機関になるのでしょうか。

ケースバイケースだが、例えば、臨床研究などで研究の妥当性を審議する、研究倫理審査委員会というものがある。病院内に設置された第三者機関で、研究の妥当性やデータのアクセス範囲などを判断している。そのような仕組みは参考になるだろう。利用目的別にさまざまなタイプの機関があってもいい。

ただし、あまりに増えてしまうと煩雑になってしまうので、ある程度の集約は必要だ。最終的には、市場経済の仕組みのようになるかもしれない。国内でもいくつかの市場があって、かつ国際的な市場もあり、取引を全体として監督する国際機関もある。そのデータ版というイメージだ。

──APPAはスイスのNGOであるWEFの「提案」で拘束力はありません。この提案は日本や社会にどのようなインパクトがあるのでしょうか。

もともと日本では、APPAに近い考え方、つまり公共性の高い医療情報について個人情報保護法の例外として同意を必要とせずに利活用できるようにする法案が検討されてきた。APPAはそれを理論的に補強するという役割もある。

実際には、そういったデータの取り扱いは現場ですでに起きている。災害時の情報利用やがん登録、感染症対策では、個人情報保護法ではなく、それぞれの特別の法律に基づいて、公共の 目的を実現するために情報が使われている。これは国際的に支持されている考え方だが、近年ではあまりにプライバシー保護が強調され、公共の目的で使うという考え方が疎かになっていた。そこのバランスを考え直す試みでもある。 

WEFは年次総会のダボス会議が有名だが、企業のトップ、政治のトップを始めとするマルチステークホルダーで世界の課題を議論して、決めるのが重要なミッションだと考えている。様々な組織のトップが一同に会する場で提言し、それぞれの組織で持ち帰って議論を重ねることで、世の中が変わるきっかけにしたい。
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文=成相通子

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