情報の標準化から考える、ポストコロナ時代の移動と自由

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情報流通の自由は人類の未来


1980年代にはパソコンの普及が始まり、家電や通信機器もデジタル化が進んで、鉄道や機械製品や衣料品のサイズまで、国をまたいだハードウェアの覇権争いに付随する標準化に加え、デジタル信号のフォーマットやコンピューター言語などのソフトウェアに関する話が大きくクローズアップされるようになってきた。

パソコンOSを中心にしたソフトの戦いでは、市場でマイクロソフトとIBMの方式が勝利し、家庭用ビデオの方式ではビクターのVHSがソニーのベータ方式を駆逐した。もともと新製品の方式は各社が工夫を凝らして作るもので、市場の評価で受け入れられたものが残り、それが事実上のボトムアップのデファクト標準(de facto standard=事実上の標準)と呼ばれる。

しかし放送や電話などの公共性が高いメディアに関しては、市場の動向ではなく国が専門家の意見をまとめる法的なトップダウン方式のデジュア標準(de jure standard=公的標準)が定められる。

通信の世界では電信から始まり電話もこうした方式が決められたが、コンピューターを使った通信は当初は遠隔地からコンピューターを使うための特殊な機能としか考えられていなかったため、こうした標準化の対象とはならず、コンピューターのメーカーごとにいろいろな方式が混在しており、相互に通信できないでいた。

しかし80年代初頭にISOがOSIという標準方式を決めて、これを各国がデジュア化しようとし、日本も閣議決定で政府関係のネットワークにはOSIを使うよう決めたが、結局市場はインターネットの普及でインターネット・プロトコルであるTCP/IPがデファクト標準化した。新しいデジタルの世界では事前にデジュア化してもイノベーションの実情に合わず、デファクトのような市場動向に依存する混乱をさけるため、両者を折衷するような方式も模索されている。

これまで国が移動の自由を担保してきた基本的インフラの象徴は、ローマの時代から全ヨーロッパにつながった道路だった。しかし情報時代には、さらなる自由を確保することも必要だろう。

デジタルテレビの方式決定の騒動で急先鋒に立ったMITメディアラボの初代所長ニコラス・ネグロポンテ氏は、インターネットこそ情報時代の道路であり、世界のどの場所へでもアクセスでき情報を交換できることが21世紀の人権や自由の象徴だと主張する。

コロナで外に出られない人々はネットの中を移動し、オンライン会議やリモートワークにいそしんでいるが、移動のままならないこの世界で、利便性ばかりでなく、人間の自由がより担保されるような、より大きなビジョンの下にネットの将来を考えてみる必要もあるだろう。

文=服部 桂

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