「清潔だから大丈夫」から一転、 外出禁止令下のトルコの生活は?

Photo by Mehmet Akif Parlak/Anadolu Agency via Getty Images


ラマザン中、イスラム教徒は日の出から日没にかけて一切の飲食を断ち、空腹や自己犠牲を経験するなかで貧しい人々へ想いを寄せる。この期間は宗教心が特に高まることから、トルコでもモスクに集まって礼拝を行う人が増えるが、今年は政府の指示でモスクが閉鎖され、多くの人が家での礼拝を続けている。

また、ラマザン中は日没後、イフタールと呼ばれる断食明けの食事を自宅やレストランで親しい人々と楽しむのが慣例だが、今年は夕刻のアザーン(礼拝への呼びかけ)のあとも街中は静まり返っている。トルコだけではなく、全世界のイスラム教徒にとって、いつもと様相の違ったラマザンになりそうだ。

日本では、今年は楽しいお花見の予定がなくなってしまい、悲しい思いをした人も多かったと思う。トルコにはお花見の文化はないが、この時期には週末にピクニックを楽しむ人も多い。筆者の住む街は夏は40度近くまで暑くなり、冬は雪が降るほど寒い。穏やかな気候の中、公園へのお出かけやバーベキューを楽しめる今の季節は、大変貴重なのだ。正直、外出禁止令が出たところで、こんなにいい季節にトルコ人が家に居られるのだろうか?と思っていた。

忍耐強さを見せるトルコ人


周りに聞いてみると、どうやら本当に家に居るらしい。友人とカフェに繰り出し、タブラというボードゲームをするのが趣味な私の夫も、文句も言わず、ずっと家にいる(カフェが開いていないせいもある)。すでに1カ月になる在宅勤務にも慣れてきたようだ。ソーシャルメディアを眺めていても、#evdekal(トルコ語版#stayhome)のハッシュタグとともに流れてくる写真は、ケーキを焼いたり、コーヒーを淹れたり、ヨガをしてみたり、ポジティブな家こもりの様子ばかりだ。本当に偉い。

しかし、正念場はここからだ。外出禁止と自粛が続き、疲れが出てくる。以前他の国に住んでいた頃も、治安の関係で、長期の外出制限がかかったことがあった。最初の3週間くらいは、非日常な事態への緊張感と、高揚感にも似た気持ちが現れ、不謹慎ながら結構楽しめるのだ。一通り見たかった映画を観て、時間のかかる料理をつくって、積んであった本を読んで、と、家での時間を楽しんでる間に半月余りが過ぎる。そうすると、飽きてくる。これはいつまで続くのだろう、という気持ちになり、そればかり考えるようになる。

トルコは2016年7月のクーデター未遂事件後、2年間の緊急事態宣言が続いた。しかし、その間も、今回のような、いつ終わるかわからない外出禁止という状態はなかった。 今の様子から見るに、警察の目をかいくぐり、リスクをとってまで外出したい、と言うトルコ人はそれほどいないだろう。心配なのは、心が参ってしまう人が増えるのではないか、というところだ。ケーキのレシピも材料も、そんなに長くは続くまい。

ラマザンの最初の1週間はきつい。私は断食を続けられたことがないので、何も言う資格はないのだが、毎年断食している人でも、身体が慣れるまではきついらしい。しかも素晴らしい天気の中、気晴らしに出かけることもできないとなれば、ストレスが溜まるだろう。バイラムは果たして家族に会えるのだろうかと、1カ月先のことも心配になるだろう。

ここからだ。この1週間、そしてこれからの1カ月を、気をそらしながらなんとかやっていけるかどうか。新型コロナウイルスにかからないこと、うつさないことも大切だが、心に疲れをためないことも大切だ。トルコの人々が笑顔で、家族とともにバイラムを楽しめることを願う。

文=松本夏季

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