自分の身体が他者の声で満たされないために
磯野:文化人類学を専門とする私は心を「現れ」ととらえています。世界との接地面に「心」が現れてくる、と見る。
摂食障害の話を聞くと、過去の苦しさと未来の不安が団子状になって覆いかぶさっている感じがする。その未来と過去の断片で押しつぶされて「今」に接地できていない感じがある。
だから「いかに接触するか」「いかに世界とかかわるか」だと思います。
人は生活上、「母」「教員」「学生」といった、いろんな「役割」をもっていて、その役割に応じたつながり方や生き方をしています。これを「タグ(札)付けする関係」と呼びます。
社会を営む上で、こうした「タグ付け」の関係は必要です。ただ、人間関係が「タグ付け」の関係だけで満たされてしまうと、自分自身まで「タグ」で価値づけ、「こういう“教員”であるべきだ」など決め打ちされた役割に縛られかねない。タグの価値だけでつながった人間関係は、そのタグの価値が下がれば終わりです。
では、私たちの存在を「軌跡」(ライン)でとらえるとどうでしょう?
ここでいう「ライン」とは、イギリスの文化人類学者、ティム・インゴルドが、著書「ラインズ 線の文化史」で描き出した概念です。それを人間関係に置き換えて、私たちの人生は、これまでの経験や出会ってきた人々でかたちづくられているととらえ直せば、たどってきた道は、人それぞれに当然異なり、その軌跡こそが「自分らしさ」だと考えられるのではないでしょうか。
自分が他者に呼びかけられることで始まるという事実を認めつつ、でも自分の身体が他者の声で満たされないようにするには一体どうしたらいいでしょうか。あなたが描いてきたライン、そしてこれから描かれるであろうラインの行方を、ワクワクしながら面白がり、そしてあなたとともにラインを描いていこうとしてくれる他者に出会うこと。言い換えると、タグ付けする関係でなく、「踏み跡を刻む関係」を作り上げてくれる他者に出会い続けていくことです。(『ダイエット幻想──やせること、愛されること』より引用)
「当たり前」をずらして見える世界
高校時代空手をやっていたのですが、怪我のせいでパフォーマンスを十分に発揮できない選手をみてきました。それがきっかけで、大学では運動生理学を専攻しました。
けれど、アメリカの大学に留学中、文化人類学と出会いました。「こんな学問があるのか」と衝撃を受けたんです。人間の体を細胞レベルまでミクロでみていく生理学から、人のありふれた暮らしのあり方、ささやかな考え方を通して人間をを見つめる文化人類学に、思い切って専攻を変えました。
文化人類学は、些細な日常から研究のかたちを積み上げていきます。例えば、かごの編み方や猟の仕方、ものの運び方など、具体的な生活をベースに抽象度の高い理論を生み出していく。
「いい」「悪い」をいったん保留し、些細なことも丁寧にみていくと、事象の「相対化」がおのずと始まります。はたから見たらおかしくて遅れているように見える風習や生き方が、その地域で生きていくために大事なことだってある。
一つの価値観で良し悪しを判断せず、「『当たり前』をずらす」という視点で、世の中の当たり前を「なぜ?」と考えてみる。
すると、わたしたちの世界の住みよさもみえてきます。
磯野真穂(いその・まほ)◎国際医療福祉大学大学院准教授。文化人類学者。1976年長野生まれ。摂食障害の当事者の調査研究を続けている。主な著書に『なぜふつうに食べられないのか―拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、哲学者・宮野真生子さんとの往復書簡をまとめた『急に具合が悪くなる』(晶文社)など。食べることや身体、取り巻く社会を考えるワークショップ「からだのシューレ」主宰。
磯野真穂さんインタビュー「ダイエット幻想」(=下)があるのでご紹介します。
本記事はAIの社会実装を手がけるABEJAによるオウンドメディア「Torus(トーラス)by ABEJA」からの転載です。