2020年1月に出版された『これが私の生きる道!彼女がたどり着いた、愛すべき仕事たち』(世界文化社刊)では、自分らしい幸せな仕事や、固定観念にとらわれない柔軟な働き方を見つけた女性33名にインタビューを行っている。本書の中から、映画監督と会社員という全く異なる2つの仕事を続ける穐山茉由さんのお話を紹介する。
自分のこれからの人生は、やりたいことを突き詰めたっていい
──あなたのお仕事は?
外資系ファッションブランドのPRと映画監督の二足のわらじを実践しています。PRの仕事は結構長くて、社員歴は14年以上。担当しているブランドを世の中に広く知ってもらうため、スタイリストさんに新商品を紹介し、雑誌やWEBといったメディア掲載につなげるのが仕事です。
──映画監督になった経緯は?
「何か表現したい」とはずっと思っていました。ただ私の場合、その手段を見つけるまでにかなりの時間がかかってしまって。写真や音楽、小説など、興味があることは片っ端から試しましたね。
そんな中、一番しっくりきたのが映画でした。最初はネットで見つけた映画作りのワークショップに参加したんです。未経験の人が集まって、講師に教えてもらいながら1本の映画を撮るというもの。そこで監督をやらせてもらったのですが、自分が思ったようには全然撮れなくて。これはもっと勉強が必要だと実感しました。
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ちょうどそのタイミングで私生活でも転機が。当時、結婚を考えていた人がいたんです。いざ現実になり、いろんな条件を突きつけられると、「私、そこまでして結婚したいのかな?」と冷静になってしまい、結局、結婚することを断念。そうなって初めて、「結婚って、自分でするかしないか選べるんだ!」ってことが、ストンと理解できた。それまでは、自分の価値観ではなく、〝女性として生まれたからには、結婚して子供を産まなければいけない〞という、世間の価値観に執着していたのかなって。自分のこれからの人生は、やりたいことを突き詰めたっていい。自分の責任で選択すべきだと思い、その勢いのまま、映画美学校の門をたたきました。
入ったのは30過ぎ。周りは若い人たちばかりだったこともあり、「悠長にやっている余裕はないぞ」という気持ちはありましたね。週3日の夜間コースにもかかわらず、ほぼ毎日通っていたほどです。そのかいあってか、2年目の学校修了制作で撮った『ギャルソンヌ──2つの性を持つ女──』が、若手の登竜門と呼ばれる、田辺・弁慶映画祭で上映されることに。ようやく、映画学校だけの閉ざされた世界から、広い世界へ羽ばたけたという気持ちでした。その縁で知り合った人がプロデューサーとなり、『月極オトコトモダチ』を制作。記念受験みたいな感じで出品した東京国際映画祭が決まったときは、本当にうれしかったですね。レッドカーペットなんかもあるので、周りもちょっとしたお祭り騒ぎでした(笑)。