「マイクロソフト、グーグルもグローバルな会社でしたが、アマゾンにおけるこのチームほどグローバルな環境での仕事はなかったですね。世界各国のISOメンバー全員が、ワンチームで、週ごとのミーティングはもちろん、世界各地で数カ月おきに開かれるISOサミットでのディスカッションを通してナレッジ・シェアリングし、プロセスを改善し、再現性の高いメカニズムを構築、実装することで、ビジネスゴールである新規開拓や売上げを達成していました。
属人的でなく、再現性のある、いわばきわめて『アマゾンらしいやり方』を経験できたことが一番の貴重な点でした。グローバルで共通のベンチマークを用いて、スケーラブルにメカニズムを構築するプロセスを、自分に叩き込みましたね」
それは、藤澤がマイクロソフトやグーグルで体験した「自身が個人でしゃかりきに動いて考え尽くし、岩をも突き通す精神力で完遂する」といった働き方とは対極だった。「インディビジュアル・コントリビューターとしてではない、メカニズムをつくる役割を担い、しかもそのメカニズムが実装されていく様子も目撃できた」というのである。
「英語」、実は知られざる努力も
藤澤は、いわゆる「帰国子女」ではない。究極にインターナショナルな環境に対応するためのツールである英語を駆使する技は、どうやって習得し、研磨していたのだろうか。
藤澤の直属の部下で、営業マネージャー3名のうちの1人だった伊勢谷直美氏はこう語る。
「1対1の面談の時、どうやったらもっと英語が達者になれるか相談したことがありました。そうしたら、『俺もバイリンガルでもなんでもなく、留学もしていないから、必死で努力したよ』と打ち明けてくれたんです。そして『考えていることを短くてもいいから毎日英語でアウトプットする。書いてもいいし、独り言でもいい。そうすると自分が言いたいことと、今の現実的な語彙力との差が見えるからそこを埋めていく。そうすると、少しずつ語彙が増えて、自然な言い回しで会話できるようになるよ』と教わりました。
また、重要なプレゼンや社内国際会議の前の晩は、『どんな質問が来るか、翌日のシーンをイメージトレーニングして、歩き回りながら英語でぶつぶつと言ってみる』と。あんなに英語に堪能な人が、実は努力もしているんだと感動したのを覚えています」
同時にISOの重要なミッションにはもう1つ、未来の広告主開発と同様、広告事業部における未来の人材開発のメカニズムづくりもあったという。なので、藤澤には、広告事業部の未来の営業スタッフの採用から人材開発プログラムの設計、運用にも関わる機会があった。
たとえば第二新卒の人材たちにはまず、アマゾンのDNAたる企業理念を叩き込んでいく必要があった。ただ、スパルタ式ではない。各ステージごとに必要な知識や情報を順序よくインプットし、自己診断の後次のステージへ、というステップアップ・プロセスによってである。
そして、ここで藤澤が重要視したのは、チームインパクト(チームの一員としてお互いを助けあうこと)への貢献を自己診断の際の評価基準として明示したことだ。主体性と協調性を同時に「血肉として」新しい人材に浸みつかせていくためである。
そのプロセスで藤澤が目撃し、実感したこと。それは、人材開発と効率的オペレーションの設計、その両軸がうまくかみ合ってこそ、再現性の高い営業メカニズムが機能するという事実だったという。そしてその実感こそが、現在の沖縄での仕事に大きく生きることになる。
そして「沖縄から世界へ」の現在
ちょうどアマゾンに入って丸5年経った頃、藤澤は、「広告事業部におけるISOの機能も1つの最適解に収束したな」という実感を感じるようになった。
「新しいチャレンジも頭にチラついたりし始めていました。正直言えば、新しく始めるのは『カレーうどん屋』とかでもよかったんです。年齢も50歳近くになってましたし、一度きりの人生だと考えると、そのくらい全然違う決断をしてもいいかなと思ったんですよね」