「ただ、そういった見込み広告主のバジェットコントロールをしていたのが、大手広告代理店の電通と博報堂でした。なので、彼らにスマホ広告の重要性を理解してもらい、彼らから広告主に営業してもらう戦略に変えたら、がらっと風景が変わりましたね。しかも彼らは華やかなブランドを展開する会社をクライアントに抱えているので、様々なタイプのケーススタディをつくることができ、PDCAサイクルを回すことができた結果、他の広告主も逆アプローチしてくるようになったんです」
当時、マイクロソフトの広告部門で苦楽を共にしたイーピン チェン氏(その後、先にアマゾンに移籍した藤澤から誘われ、当時の勤務地の香港から帰国。現在は藤澤氏の後任として、アマゾンで活躍している)は、その頃のエピソードを次のように語る。
「当時、藤澤さんは、営業担当者と一緒にクライアント回りもしていたんです。でも提案していた『イン・ゲーム広告(XBox)』などの特殊な広告ソリューションは、当時、競争力のない高額なだけの商品と受け取られ、苦戦の連続でした。
そんなある日、クライアントと会った後の食事の席で、あの豪胆で明るい藤澤さんが、『どうしても売る、必ず成功させるぞ』って大泣きするんです。市場に理解されないもどかしさ、そして広告の新時代を拓きたいという思いが一気に伝わった、忘れられない思い出です」
そしてアマゾンのリーダーシップ・メンバーに
スマホ広告という、当時としてはまったく新規だった広告ソリューションの日本市場を、先陣を切って創る使命を担った日々。そんななか、マイクロソフト時代の元上司がアマゾンに転職し、請われて藤澤もアマゾンへ移籍することになる。肩書きは、「ジャパン・ヘッド・オブ・インサイドセールス」だ。
直属の部下だったマネージャーたちと(上)、ISOメンバー全員と(下)
「それまでもやってきた広告営業には違いないのですが、担ったのは、新たなセールス組織であるISO (インサイドセールス・オーガナイゼーション) の日本部門を統括し、未来の戦略広告主開発のためのメカニズム構築に向き合うという重要な役割でした」
あまり知られていない「アマゾンの広告」。それは、トップページのバナー広告をはじめ、カスタマイズされた特集ページや、サイト内でサーチした時に検索結果ページに表示される「スポンサープロダクト」などがそれだ。
すでにアマゾンにとっての大きな広告主、戦略アカウントにはP&G、花王などがあるが、ターゲットリストであるアマゾンの既存取引先数千社から、「未来のP&Gや花王」になり得るターゲットリストを洗い出し、大手戦略営業チームに渡していくのがISOの主たるミッションだった。
「アマゾン・フライウィール」に追加された重要機能とは
アマゾンには、「いかにセレクションを増やして、よりリーズナブルな条件でオンラインショッパーに商品を届けていくか」を示す有名な「アマゾン・フライウィール」の絵がある。だが、もともとこれに含まれるのはセレクション、プライシングといった基本的なメカニズムで、実はISOを含む広告事業は、その回転を加速するために、後から追加された大変重要な役割だという。
アマゾン・フライウィール
「このチームは日本のローカルチームというよりは、グローバルで共通のオペレーションをスケーラブルに回し、世界各国で新たな顧客(広告出稿主)を開拓することがミッションでした」