グアテマラ出身、「天才賞」を受賞
フォン・アンはグアテマラ・シティのアメリカン・スクールに通い、旧来の方法で英語を学んだ。母は医師であり、42歳のときに未婚のままフォン・アンを生み、女手ひとつで彼を育て上げた。数学が得意だった彼は、12歳になる前に大学教授を志した。
アメリカに渡り、デューク大学で数学の学士号を得たフォン・アンは、カーネギーメロン大学(CMU)の大学院に進み、著名なコンピュータ学者で、1995年にコンピュータ分野のノーベル賞とも言われるチューリング賞を受賞したマヌエル・ブラムに師事し、博士号を取得した。
ブラムとフォン・アンは共同研究プロジェクトとしてキャプチャを作り上げ、これを無料配布した。フォン・アンはこのとき、まだ大学院生だったが、クラウドソーシングを利用して画像ファイルを特定するツールを作り上げ、2004年にそれをグーグルに売却した。売却金額は公開されていないが、彼は「その後、生活の心配をする必要がなくなった」と語っている。
05年に博士号を取得した直後、フォン・アンは意外な人物から電話を受ける。電話の主はビル・ゲイツであり、チームリーダーとしてマイクロソフトのリサーチ・ラボに迎えたいという申し出だった。ビル・ゲイツはその後、1時間半にわたり、フォン・アンの説得を試みたが、結局、フォン・アンはこの申し出を断った。
マイクロソフトの誘いを断る代わりに、フォン・アンが選択したのはCMUのコンピュータ科学の教授職だった。教授職に就いた3週間後、マッカーサー基金がコンピュータ・セキュリティとクラウドソーシング分野におけるフォン・アンの革新的な功績を称え「天才賞」と賞金50万ドルを授与した。フォン・アンはこの資金を元手に、キャプチャの新しいバージョンである「リキャプチャ」を開発した。表示される歪んだ文字は、スキャナーで読むことのできない古い書籍や新聞から引用したものであり、何億という人々が表示された単語を入力することで、大量のテキストデータをデジタル化するために必要な労働を無償で手に入れることができる。09年、グーグルは2500万ドル以上を投じ、フォン・アンが50%以上の株式を保有する同社を買収。フォン・アンはその後の2年間、CMUを休職してグーグルの社員として働いた。
11年にCMUに戻ったフォン・アンは、スイス出身の大学院生セベリン・ハッカーと共にグーグル時代に温めていたアイデア、無料のデジタル言語学習ツールに取り組み始めた。外国語学習機能と翻訳、2つの機能を併せ持つツールにしたいとの思いから、2人はこのプロジェクトを「デュオリンゴ」と名付ける。まず、デュオリンゴが翻訳を希望する顧客を見つけ、デュオリンゴで英語を学習している数多くのユーザーが英語で書かれた文書の一節をそれぞれの母国語に翻訳する。多くのユーザーが同じ一節を翻訳することにより、最終的に良質な翻訳が生み出される。