スウェーデンには基本的に専業主婦という概念がないので、「ダラパパ問題」を聞いたことがない。
もちろん母親がそのとき、たまたま失業中で家にいるということはあるだろうが、その場合は経済的なことを考慮して、父親が育児休業を取る期間は最小限にとどめるだろうし、失業者が就職活動に集中したり、大学に通って資格を取ったりする期間にあてることもできる。就職活動をすることや大学に通うことは失業者の当然の権利であり、どちらの場合にも保育園に預けることができる(就職活動時は週に15時間)。なお、大学は無料だ。
父親が育児休業を取るというのは、妻が働いている間、100パーセント家事育児を引き受けることを意味し、また子供がその間保育園に行かずに家で親と過ごすためのものだ。
もちろん、だからといって、日本で専業主婦の妻がいる男性は育児休業を取る資格がないとは思わない。ぜひ取って、育児と家事を100パーセント引き受ける体験をしてほしいし、そこからしか生まれない子どもとの絆もはぐくんでほしいと思う。
ただ、育児給付金をもらいながら、妻にほとんど任せて家でダラダラしている男性がいるのだとすれば、迷惑もいいところだ。そんな一部の男性のせいで、真面目に育児休業を取っている男性女性まで、「育児休業を取る=さぼっている」などというイメージを持たれてしまうのが恐ろしい。
グレン氏の裁判は、いまだ決着がついていない。
「息子はもう4歳。つまり、もう4年も闘ってきたんですよ。でも、あきらめません。将来息子が大きくなったときに、パパが彼のために闘ったことを知ってほしいから。それに、何よりも日本が好きだから、変わってほしい。あとは、やっぱり好きな仕事をしたいだけなんですよ」
「国が決めた福利は企業が全力支援」という構造
日本が好きだからこそ、もっとみんなが暮らしやすい社会になってほしい。当たり前のことが当たり前になってほしい。グレン氏はそれを目指している。
ここで改めて感じるのは、日本では、国・企業・個人の足並みが必ずしもそろっていないということだ。スウェーデンでは例えば、誰も残業をしない。国が1日8時間労働と定めたら企業もそれを遵守するし、個人も然りだ。つまり、国=企業=個人と三者の足並みが揃っている。
育児休業にしてもそうだ。国が480日と決めたら、個人はそれを当然の権利として享受するし、企業はその邪魔をするどころか、全力を挙げて支援する。ヨーロッパ諸国の長い夏のバカンスは有名だと思うが、それについても同じことがいえる。国が5週間の長い夏休み(有給休暇25日)を保証すれば、それを取り残す社員はいないし、企業の役目の一つは、社員全員が順番に夏休みを取れるよう采配することだ。
日本の大企業では有給休暇が25日以上ある会社も少なくないはずだが、実際の取得率はどうだろうか。スウェーデンで国と企業と個人がイコールであることは、労働組合の力が非常に強いなどの理由があるし、日本には、「企業に忠誠を誓う」のがよい社員であるという風土がまだ残っている。そんな背景もあるから、単純に「ちゃんと有給休暇を消化しない日本人はふがいない」と言うつもりはない。
しかし、少しでも国=企業=個人の間に「ちぐはぐさ」があるとしたら、それを修正していく努力はできないものだろうか。いくら国が制度を見直しても、それが守られないなら国民の生活はよくならない。そんな基本的な矛盾を、今回の件で改めて感じた。
久山葉子◎スウェーデン在住の書籍翻訳者。スウェーデン大使館商務部勤務を経て、2010年より、理想の子育てを求めて家族でスウェーデンに移住。 北欧文学の翻訳を手がけるほか、ライター、コーディネーターとして活躍。日本語教師として、現地の高校の教壇にも立つ。著書に『スウェーデンの保育園に待機児童はいない』(東京創元社)