だが、スウェーデンに来てみて驚いた。育児休業を取ったあともそれまでの業務を続けられるのは、労働者の権利だ。同時に子供が病気になったら急に休む権利があるし、同僚もクライアントも、そんなことは日常茶飯事として気に留めない。もちろんそこには、男女ともが育児に携われる環境が整っていて、片方の親だけに育児の負担が集中しないという土壌があってこそなのだが。
一方日本では、理不尽な扱いを受けても、まだまだ声を上げにくいという状況がある。
「裁判を起こしたのは、あとに続く人たちのことを考えたのもあります。もし今自分が引き下がったりしたら、今後、例えば会社でセクハラされた女性が声を上げる勇気がなくなるんじゃないかって。そんなのは嫌だからです」
日本では、こうやって声を上げられる人は少ないと思う。グレン氏は外国人だからそれができるのだろうか。
「グレタ・トゥンベリ」を生んだ土壌
「日本では、人間には人権があるということを子供に教えてきていないと思うんですよ。学校でも、自分の意見を言おうとする子、声を上げようとする子こそが本来は、未来のリーダーになるはずなのに、その子の可能性が十分に生かされないケースもあるんじゃないかな」
昨年世界で注目された16歳の環境活動家グレタ・トゥンベリさんは、スウェーデン人だ。グレタさんは中学3年生に進学した秋に、「環境のための学校ストライキ」というプラカードを掲げて、国会議事堂の前に座り込んだ。連日の座り込みに、彼女を取材するマスコミの数は日に日に増え続け、2週目にはスウェーデンでは皆が知る存在になっていた。
グレタさんほど行動力のある子は珍しいとはいえ、スウェーデンでは普段から子どもたちに自分の意見をもたせ、社会を変えていく取り組みを応援する土壌がある。部活のようなノリで中高生が各政党の青年部に参加する姿も珍しくはない。
子どものうちに自分たちに社会を変えていける力があると信じることができるから、大人になっても職場の労働環境や政治家が決めた社会政策にどんどん疑問を呈し、間違っていると思うことは変えていこうとする姿勢がある。
「ハラスメントは犯罪」の意識があるか?
日本でも色々なハラスメントが社会問題として取り上げられてはいるが、「まだ真剣味が足りない」とグレン氏は言う。
「ハラスメントという言葉はもともと英語だけど、今は日本で色々な〇〇ハラが話題になっています。セクハラ、マタハラ、パタハラ……その内容をもっと具体化して考えてほしい。それがいかに不当なことなのか。法律違反であるのかを、認識してほしいんです」
確かに、“〇〇ハラ”とキャッチーなネーミングをすることで、なんとなく軽い感じがするのはわたしだけだろうか。実際には法律違反行為、犯罪なのに、最近流行りのカルチャーの一種か何かのようだ。話題にはよく上がるが、グレン氏が言うように、もっと真剣に捉えるべきことなのではと思う。