また、ポン・ジュノ監督は、韓国では、朴槿恵政権下では(2013年2月25日~2017年3月10日)、政権に不都合な文化人として「文化芸術界のブラックリスト」に入れられていた(これはポン・ジュノ監督が海外に活路を求めていた時期と重なる)。なかでも、時の国家情報院は、前出の「スノーピアサー」について、「市場経済を否定し、抵抗運動を煽る」と政府に報告していた。
人々を楽しませるエンターテインメントでありながら、鋭いメッセージ性も含まれるポン・ジュノ監督の作風は、「パラサイト 半地下の家族」でも健在で、この作品もやはり、半地下の家族が高台の家族に挑む「階級闘争」の映画としても観ることができる。敢えてネタバレは避けるが、実は劇中にはそれ以外の「闘争」も含まれている。ポン・ジュノ監督は語る。
「違った環境や状況に身を置く人々が、同じ空間に一緒に住むことは容易ではありません。この悲しい世界では、共存や共生に基づく人間関係が成り立たず、あるグループが他のグループと寄生的な関係に追いやられることが増えています。
そのような世界の真っ只中で、生存をかけた争いから抜け出せずに奮闘する家族を誰が非難したり、“寄生虫”と呼ぶことができるでしょう? 彼らは初めから“寄生虫”であったわけではありません。彼らは私たちの隣人で、友人で、そして同僚だったのにも関わらず、絶望の淵に押しやられてしまっただけです」
そして、ポン・ジュノ監督は、この作品を「道化師のいないコメディ」であり「悪役のいない悲劇」だと表現している。確かに笑いながら観ていた観客は、やがてとんでもないシリアスな場面へと誘われていく。
「今日の資本主義社会には、目に見えない階級やカーストがあります。私たちはそれを隠し、過去の遺物として表面的には馬鹿にしていますが、現実には越えられない階級の一線が存在します。本作は、ますます二極化の進む今日の社会の中で、2つの階級がぶつかり合う時に生じる、避けられない亀裂を描いているのです」
「パラサイト 半地下の家族」では、10年ぶりに韓国をホームグランドにして映画を撮ったポン・ジュノ監督、この発言はもちろん、深刻な格差社会が進行する母国の現況を意識しての発言なのだが、そこからは現代日本にも通ずる極めて今日的なメッセージを読み取ることもできる。そういう意味でも、この作品は、実にパーフェクトな作品なのだ。
連載 : シネマ未来鏡
過去記事はこちら>>