ビジネス

2020.01.06 08:00

「生き続けるためにはノーチョイス」 オリンパス、覚悟のトランスフォーム


もうひとつ、映像事業を聖域化しない方針を打ち出したことも見逃せない。戦前からカメラを製造していただけに、映像は祖業に近い重要な事業だ。映像のコア技術が医療分野に応用できる利点もあり、成長の限界が見えた後も、映像事業を死守する姿勢はこれまで崩していなかった。

「いまも映像事業は必要だという認識です。ただ、オンゴーイングで見直していくと同時に申し上げている。私は事業ではなく、会社あるいはオリンパスというブランドにコミットしていますので、企業価値を高めるために必要な判断をするだけ。映像事業を『ずっと続ける』とは言えない」
 
営業利益率20%以上という目標や、映像事業を含めたポートフォリオの見直しについて、社員から「そこまでやるのか」と声が上がってもおかしくない。しかし、竹内は「生き続けるためにはノーチョイス」ときっぱり。覚悟は相当なものだ。
 
竹内に変革への抵抗感はない。昔から変革を旨としており、「医療機器は規制でがんじがらめの業界だが、その中では非常に珍しい生き物だった」と自負する。

「入社3年目にNY赴任になり、外から会社を見たことが大きい。私は経理担当。当時は単体決算でしたが、世界は連結決算が当たり前でした。アジャストしましょうと提案しても、前からこうだと言って変えようとしない。日本のやり方は天動説で、自分を中心にして世界が動くと思っている。本当は逆なのですが」

竹内は、その後も変革の提案を続けるが、「負け続けて、何も変えられなかった」と振り返る。負け続ければ、普通は諦念が生まれ、いつしか守旧側に取り込まれるものだ。しかし、トップになったいまも屈することなく変革を唱えている。

「たまたまやらなきゃいけないポジションになっただけ。私は7年前の不祥事がなければ、いまここにいない人間なので」
 
7年前、粉飾決算に端を発した社長解任騒動が起きて、オリンパスの信用は失墜した。当時イギリスにいた竹内は急遽呼び戻され、立て直しを担う新経営陣に。「資本ゼロで会社が潰れかねなかった」状況で財務担当になり、ソニーとの資本業務提携を主導するなどして危機を救った。
 
財務の健全化が進んだところで前中計の策定に関わったが、未達だったことはすでに述べた通りだ。

「グローバル・メドテックカンパニーになるという未来の方向性は間違っていない。ただ、コミットメントを深めて、もっと厳しく実践する必要があります」
 
いまここで竹内が改革の先頭に立つのは、たまたまなのか、それとも必然なのか。その答えが明らかになるのは、もう少し先のことだろう。


オリンパス◎2019年10月に創立100周年を迎えた光学機器・医療機器メーカー。消化器内視鏡では世界シェア70%を誇る。「真のグローバル・メドテックカンパニー」を目指し、23年3月期の営業利益率20%以上に向けて、医療事業に傾注する戦略を掲げる。

たけうち・やすお
◎1957年生まれ。80年、中央大学商学部を卒業後、オリンパス光学工業(現・オリンパス)入社。欧州および米国法人の取締役会長、取締役専務執行役員、経営統括室長などを歴任し、2016年に副社長兼CFOに就任。19年より現職。

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文=村上 敬 写真=宇佐美 雅浩

この記事は 「Forbes JAPAN 2月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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