トゥンベリはまた、自分は人とは違う脳を持つために、一つのことに集中し、批判をはねのけることができるとも述べている。これまで人々があまりに長い間沈黙を続けていた場所から声を上げ、世代を鼓舞する彼女は、恐れ知らずのリーダーに見える。
だが先進国の大半は国連の障害者権利条約を批准している。英国の大企業は障害者保護法に従い、アスペルガー症候群を含む自閉症や、総合運動障害、失読症、注意欠如・多動症(ADHD)などの「見えない障害」のある人々への対応や便宜が義務付けられている。法律上では、アスペルガー症候群の人は障害者とみなされうるし、そうした人が最高のパフォーマンスを発揮できるようにするには職場での便宜が必要となる職種も多い。
では、心理的な面で最も役に立ち、さらに多様性のあるチームのパフォーマンスの面からも最も有効なアプローチは何だろう? そこからビジネス面でも学べることがあるかもしれない。
「違い」なのか「障害」なのか
ニューロダイバーシティー(脳の多様性)の肯定的な側面が明らかになるにつれ、受容とインクルージョン(包摂)の風潮が加速している。こうした人々が持つ強みは本物であり、人気が高く、社会にとっても有益であることは、多くのビジネスリーダーも賛同している。生まれた時から自分の能力に関して否定的な評価を受けてきた人々にとって、自分の強みを発見する機会を得ることは、人生を変える経験となる。
しかし人によっては、この「超能力」の考え方が自分のパフォーマンスに関するプレッシャーにつながり、有害となる場合もある。誰もが「レインマン」のような特殊能力を持つわけではないからだ。
米国の刑務所に収容されている受刑者の約50%が失読症であり、私は受刑者のクライアントに「誰もがリチャード・ブランソンになれるわけではないんだ」と言われたことがある。これには一理ある。適切な支援を与えられずに期待をかけられると、非常に悪い影響につながり得る。
また、天才たちはインスピレーションを与える存在だが、こうした少数の天才だけに注目するのではなく、全ての人が利益を得られなければいけない。現実として、ニューロマイノリティーは失業し、権力のある地位に立てず、刑務所に入れられ、早死にしてしまう確率も高い。
医療や司法、教育といった社会構造では、識字能力や持続的な集中力・コミュニケーションが求められる。基本的なアクセスやインクルージョンを求め闘っている人々にとって、キャリア達成は遠い夢となるかもしれず、これによって人材が活用されない状況が生まれる。