2014年の雨傘運動は、1989年の天安門事件以降で、中国共産党の主権が及ぶ地域では、最大級の民主化を掲げたデモと言われたが、今回はその規模を上回る。
区議会選挙で民主派が圧勝
一方で、香港で「最も民意を反映する選挙」と言われる区議会選挙が11月24日にあり、民主派が85%の議席を占めて圧勝した。また投票率は71.2%で過去最高を記録した。
香港のデモはなぜここまで続き、激化したのか。また、この歴史的な選挙結果は、今後のデモの動き、ひいては「一国二制度」で特別行政区として守られてきた香港社会にどのように影響するのだろうか。
ジェトロ・アジア経済研究所の久末亮一による分析について、2回に分けてお伝えする。
日本で暮らす私たちは「対岸の火事」として、香港で起こっている重要な出来事から目を背けてはいないだろうか──。
──香港で前回起きた大規模なデモ「雨傘運動」の際に現地いらっしゃったとお聞きしました。今回のデモとの比較では、どのように感じますか。
2014年3月末に香港へ赴任し、その半年後の夏から雨傘運動が始まりました。その間、ほぼ毎日、デモ隊が活動していた場所へ行き、情報収集をしていました。あの時の路上占拠は、自分の都合で出たり入ったりする参加方法で、ビール片手にピザパーティーをしている人たちがいたり、隣の人たちとオレンジを分け合ったりと、和気あいあいとした感じでした。
ですが、最終的には運動の熱気が冷め、雨傘運動の主導者である非暴力系の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)らが逮捕され、デモは終焉しました。そこで「非暴力」を貫きすぎたから、前回の運動は失敗した、と不満を持つ若者たちがいました。そのような人たちが現在の「勇武派(武闘派)」に発展し、今回のデモの過激な前線に立っています。中には香港の独立を求める人たちもいます。
2014年の雨傘運動と比較すると、今回の方が支持層・参加者は、はるかに広がっています。前回はまだ学生を中心としたデモに対して懐疑的な人が多かったですが、より幅広い層の人たちが共感を示すようになりました。それはこの5年の間、香港市民の各層に、政府の施政や中国の影響力への不満が鬱積し、危機感が強まっていたからではないでしょうか。
──大規模なデモのきっかけは、香港政府が2019年4月に容疑者の中国本土への引き渡しを可能とする「逃亡犯条例改正案」を立法会(議会)に提出したことでした。
香港で普通に暮らす人にとっても、決定的に中国本土による「脅威」を感じた事案でしたね。ですが、習近平政権以降、中国本土の圧力や締め付けが厳しくなってきた中で、これはきっかけに過ぎません。実際のところは、もっと幅広い不満が蓄積され、限界に達したことが原因です。