──焦ったり、落ち込んだりする気持ちをどうやってポジティブに変えたのでしょうか。
ネガティブに捉えるのではなく、逆手に取ることができる、と気づいた瞬間がありました。新人なのだから、わからないことがあったら、開き直って新人なりにどんどん聞いて覚えればいい。新しいことにチャレンジできるチャンスにしようと、自分から積極的に動くことを心がけました。
「受け入れてほしい」「声をかけてほしい」と思って受け身になっても、疎外感を感じるだけですよね。負けず嫌いの性格がそうさせたのかもしれません。
1995年にシーケンサ事業に配属になってからは、長年一つの事業に携わることになり、着実に自分のアウトプットを出せていけたと思います。
「仕事を楽しくできるかは自分次第だよ」とよく部下に言いますね。後ろ向きになって、自分はできないと思うのは簡単ですが、せっかく仕事をしているのだから、楽しくしたい。難易度が高い課題が与えられたら、自分はそこまで期待されているんだ、世界で一番早く製品をリリースするんだ、と思うようにする。だめだと思った瞬間に前進しなくなってしまいますから。
その場にずっといることは簡単ですが、安住していても先はない。自らチャレンジしていくことが大切だと思います。これは「ものづくり」にもつながります。時代の先を見越して、新しい技術を開発しなければ会社も生き残れません。
──エンジニアから管理職になって、どのような変化がありましたか?
管理職になる前のマネジメント研修が私のキャリアの転機になりました。それまでは、男性ばかりのエンジニア集団を女性がマネージャーとして率いる機会はないのではないか、と思っていました。しかし、この研修を受けたことで、それが自分の思い込みだったと気づかされました。
それまでは、エンジニアとしてスキルアップし、開発をとりまとめることが仕事でしたが、マネジメント職は全く違うスキルが必要になる。経営的な視点を持って、方向性を決め、人を育ててチームを作り、引っ張っていくスキルです。
管理職は、人を育てることが仕事だと思います。私が心がけているのは、一人ひとりがどうなりたいかに耳を澄まし、それを実現できるような組織を作ることです。例えば技術を究めたい人もいれば、管理職に就きたい人もいる。みんなが実現したいことに向かって導いてあげるのが私の役目です。キャリアに悩んだことがあるからこそ、いま、そう思えるのかもしれません。
今後は、ダイバーシティの時代に、性別や国籍に関係なく、個人としてその人を受け入れられる土壌を作りたい。未来のものづくりの現場には、そういう土壌が必要だと思います。