男性だらけのエンジニア集団を率いる女性部長、キャリアを支えたポジティブ思考

三菱電機・大西厚子

三菱電機名古屋製作所HMIシステム部の大西厚子は、同社の主力事業であるFA(ファクトリー・オートメーション)の分野でエンジニアとして活躍し、2019年に名古屋製作所で初めての女性部長に就任した。女性が少ない職場で、キャリアの初期には異動の多さに悩んだこともあったという。Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2019、個人部門パイオニア賞を受賞した大西に、悩みを成長の糧に変えたターニングポイントについて聞いた。

──大西さんが携わってきた仕事について教えてください。

一番長く携わってきたのは、三菱電機が国内トップシェアを持つシーケンサと呼ばれる、FAシステムの制御を担当するコントローラ製品の開発です。ベストセラー製品の「MELSEC Qシリーズ」などの主力製品の開発にも携わりました。2011年にグループマネジャー(課長職)になってからは、開発責任者として製品の管理や開発を担いながら、プロジェクトや人員の管理も担当しています。

FAシステム第一部の次長に就任した2016年以降は、次世代産業用ネットワーク「CC-Link IE TSN」の開発を率いました。このネットワークは、北米や欧州のライバル社と覇権を争っているもので、開発人員400人をまとめた大規模開発プロジェクトになりました。開発したネットワークは世界で初めて各種製品に搭載され、発売も開始しています。

今年、HMI(Human Machine Interface)製品に関わる部署の部長に任命されました。次世代製品の開発に向けて最新技術の取り込み、開発力などのスキルUP、チームの育成などに重点的に取り組んでいます。

──日本の製造業、特にエンジニア職はまだまだ女性が少ないと言われますが、どのようなきっかけでエンジニアになられたのでしょうか。

もともとエンジニアになりたいと思っていたわけではありませんでしたが、子供の頃から理系分野、特に化学が好きで、大学では工学部の化学学科に通っていました。1990年に入社して名古屋製作所に配属となり、レーザ加工機のプログラミングソフトウェアなどを担当していました。

入社当初は、工場の作業着に衝撃を受けましたね。絵に描いたような三角屋根の工場に作業着で、今時こんな職場があるのかと思いました(笑)。私が入社した1990年は、バブル真っ只中でトレンディドラマの全盛期。ギャップが大きかったのを覚えています。

当時は、女性のエンジニア職が少ないのはもちろん、「結婚や出産をすれば女性は仕事を離れるもの」というのが当時の世間一般の空気でした。名古屋製作所の同期、60人のうち女性のエンジニアは5人だけ。女性のエンジニアが部署で私だけということも多かったです。上を見ても横を見ても女性は少なく、ロールモデルとなる女性はなかなかいませんでした。

自分のキャリアで大変だったのは、部署異動が他の人と比べて多かったことです。女性だからというよりは、製品の売れ行きなど様々な社内事情があったからだと思いますし、異動自体はイレギュラーなことではありませんが、95年にシーケンサ事業に関わるまで、異動が5回もありました。

異動するたびに、エンジニアとしてのキャリアはリセットされます。同年代の男性が一つのビジネスに関わって着実にキャリアアップしていく姿を見て、不安になりました。入社5年目で新人状態になり、言いたいことも言えないと落ち込んだこともありました。
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執筆=揚原 安紗佳

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