この日のライブで“Kill This Love -JP Ver.-”が披露されたとき、イントロのブラスが鳴った瞬間からオーディエンスの歓声は凄まじく、会場全体のボルテージはどんどんと高まっていった。
BLACKPINKの全面プロデュースを手掛けるのは、これまでBIGBANGや2NE1のヒットソングなどを手がけてきたTEDDYだ。ソウル生まれ、ニューヨーク〜カリフォルニア育ちのTEDDYは、世界のトレンドを汲み取り、挑戦的な手法も混ぜ合わせながら、人々の身体を踊らせる楽曲作りに非常に長けている。
BLACKPINKの音楽性はというと、アメリカの音楽マーケットを意識したヒップホップやEDMを基盤としながら、アイデンティティや個性も際立たせるようなオリエンタルでエキゾチックな音色・音感が重ねられている。
たとえばこの日、“WHISTLE”のフィンガースナップが主体のミニマルなビートがドーム中に響いた時間は、普段この会場で何十層にも音が重なったJ-POPを聴いている身としてはかなり新鮮だった。欧米人はビートやベースラインで音楽を聴く癖がついているのだが、どうしても歌とメロディーを最初に聴く癖がある日本人にとっては、BLACKPINKの楽曲よりも他のアイドルソングのほうがフィットしやすい、という一面があるとは思う。
しかし、そんな音楽的評論なんて軽く凌駕するほど、BLACKPINKの4人の佇まい自体が日本人の心にも突き刺さっているのは、この日のライブの熱狂を見ても明らかだった。
ただ、いくら楽曲がよくとも、事務所の売り方が上手くとも、ステージに立つ者に魅力がなければ売れることがないのは、音楽エンターテインメントにおいて崩すことできない事実である。
では、BLACKPINKが体現している、女性としての──いや、もはや性別関係なく人間としての──かっこよさとはなにか。
世界中の人々が憧れの眼差しを向ける佇まいとは、一体どういうものなのか。ライブの内容を振り返りながら、BLACKPINKが表現する「強さ」の新たな定義について、考えてみたいと思う。
このワールドツアーで1曲目に披露されたのは“DDU-DU DDU-DU”。<考え直して お利口なフリをするわけないから 勘違いだわ あたしのためよこの笑顔は>というラインがあるこの曲を幕開けに持ってくることで、BLACKPINKの表現の中心にある「自立心」が冒頭から表明された。誰かの言いなりにはならないし、自分のために自分を笑顔にする。
この曲を聴きながら、雑誌『ELLE』12月号でジスが語っていたことも思い出した。
「他人の姿を追うよりも、自分が夢見る明日を見ながら、一日一日迷わず歩んでいって欲しいと思います。私も周りにいる誰かについて行ってみたり、あちこちを迷いながら歩き回ったのですが、結局達成感よりも、虚無感が訪れました」