ライフスタイル

2019.12.13 22:00

歌舞伎町が嫌われる理由「ぼったくり」、背景には夜の戦略があった

私達のグループは全店で明瞭な会計ルールを実行した。そこで起きた問題とは


あれ? 一人5000円だから15000円で、女の子のドリンクを少し飲ませただけで……え?? 冷静な判断は出来ない。ここで店員と揉めるのは同じ街の同業者として無粋だと思い写メをして外へ。
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ぼったくり 伝票 会計

別料金の部分は、女の子のドリンクだけだ。3000円のドリンクが3杯、2500円のドリンクが4杯、2000円のドリンクが1杯だ。足すと21000円だ。

そこにサービス料を掛ける。この店では20%だ。
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21000×1.2×消費税1.08×カード手数料1.1=29937円(カード手数料に関してはまた別の機会に)

そういうことなのだ。システム通りなのだ。ではなぜ私がプチボッタと言ったのか?

このシステム通りの合計金額ならば、(15000円+カード手数料1500円)+29937円=46437円のはずが、実際に請求された金額は51400円。つまり、51400-46437=4963円が多いのだ。

これは、最初に言われた5000円(サ/税込)に、二重でサービス料と消費税が加算されていたためで、支払った会計上は5000円込々ではなかったのだ。

これは意図的なのか、店員の間違いなのかはわからない。

お店を出て後輩の2人に、「5万もしたよ。高いよなー」と言ったら、「マキさん、一人2万円弱でしょ。朝キャバはそんなもんですよ。5000円で済むわけないじゃないですか」という。

そういうことだ。

私よりも現場感がある2人だ。私よりも詳しい。彼らにしてみれば、当然の金額だということだ。キッチリ幾らでは決してないが、大体そんなもんだ。と思っているということだ。大人だな~と思った。

夜の戦略を正すべきか、貫くべきか

私は、会計のシステムをわかりやすくすることが絶対に正しいと思っていた。他グループの会長が言うことも理解出来なかった。しかしこの件のあと、考えてみた。不明瞭であることが絶対に悪いことなのだろうか。

どんぶり勘定という言葉は昔からある。今でも「客を見て値段を決める」という昔ながらのスナックにたまに行く。私の場合は大体5000円だ。

今は売れた役者さんなんかが、昔ばなしの美談で、「俺らが売れない頃はただ酒のましてくれてさー」なんて語られる店があるが、その店は同時に、取れるところからは取っていたのだろう。

お金の細かい話をするなんて野暮ってもんだ。という水商売独特の感覚は悪だったのか? いまだに新宿のクラブや京都のお座敷では、私はメニューを見たことがない。

ぼったくり 歌舞伎町

月末の請求書の金額しか私は知らない。何が幾らでなんてわからない。お座敷のおかみさんは、ホテルの手配から、ご飯屋さん、他の飲み屋さん、何でも紹介してくれる。そして祇園で飲むときは全部、そのお茶屋さんのツケで飲める。立て替えてくれるのだ。飲みに行かない日だって京都のことなら何でも教えてくれるし、何かあれば手伝ってくれる。

新宿のクラブのママさんたちは、うちの会社のスタッフを可愛がってくれる。それはお客様を紹介するだけではなく、人として成長を促すように接してくれる。その日の飲み代だけでは語れない価値があるのだ。

飲み屋の飲み代というのは、もともとはそういうものだった気がする。そのお店と繋がっていること、そのお店の人と、人として繋がっていること。そういう価値だったように思う。そして「ぼったくりだ」と言われる所以は、その部分を欠いている場合ではないだろうか。

不明瞭であること、分かりづらいことを問題視する前に、水商売の価値として、お客様と人間同士の関係性を築く価値を大事にすることが先なのかもしれない。そういう人間になることが先なのもしれない。

自分の経営している店舗でサービス料を撤廃したことが良かったのか悪かったのか、その結論はまだ出ていないが、少なくともサービス料を頂いているお店では、クラブやお座敷のようにお客様から「その価値がある」と思って貰えるような有形無形に関わらないサービスを提供していかなければならないと思う。

そして私は、堂々と「高いんですよ。我々は」と言えるような仕事をしていきたい。

文、写真=手塚マキ

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