「ロミオとジュリエット」の時代から、すれ違いは、恋愛物語に劇的効果を導入するキラーアイテムだった。そのすれ違いに気を揉む人たちによって、銭湯が空になると言われた時代もあった(古い話で恐縮だが、1950年代に放送されたラジオドラマ「君の名は」のことだ)。
この恋愛物語が困難な時代に、作家たちは新しい可能性も見出している。芥川賞作家である平野啓一郎の恋愛小説「マチネの終わりに」は、スマホのメール機能を逆手にとった、巧みな「すれ違い」によって、見事にスリリングな男女の物語を生み出した。
とはいえ、この恋愛小説が素晴らしいのは、そのすれ違いの意匠だけではない。互いに惹かれ合うのは天才と謳われたクラシックギター奏者と世界を舞台に活躍する女性ジャーナリスト。舞台は東京、パリ、マドリード、ニューヨークと駆けめぐり、文中にはこの作家特有の多彩で造詣の深い知識も散りばめられていく。
(c)2019 フジテレビジョン アミューズ 東宝 コルク
そして、何よりも興味深いのが、主人公の男女がともに40代であるということだ。このいわゆる中年世代を扱った恋愛作品では、地位も分別もあり、経験も豊かな男女が、激しい恋愛に落ちていく様が、絵空事ではなく描かれていた。作者の圧倒的筆力がなせる技なのかもしれないが、それゆえこのダイナミックな小説は、映像化が難しいのではないかとも言われていた。
映画「マチネの終わりに」は、その困難な作業に、真正面から挑戦した作品となっている。主人公の男女を演じるのは、福山雅治と石田ゆり子。奇しくも2人とも1969年生まれの50歳だが、やや実年齢よりも若い男女の恋愛物語を、見事なまでに成熟した自らのドラマとして演じていた。
クラシックギター奏者の蒔野聡志(福山雅治)は、東京でのコンサートのあと、友人に連れられ楽屋を訪ねてきた小峰洋子(石田ゆり子)と出会う。洋子はパリの通信社で働くジャーナリストで、かねてから蒔野の音楽を愛聴していた。しかも、彼女の父親は世界的に有名な映画監督イェルコ・ソリッチで、蒔野も彼の作品「幸福の硬貨」が好きだったと語る。
(c)2019 フジテレビジョン アミューズ 東宝 コルク
この出会いの場面で、蒔野はいきなり初対面の洋子に「舞台の上からお誘いしていたんです」と話しかけるのだが、この後に音楽と映画をめぐる2人のうちとけた会話が続くため、通常は歯の浮くようなそのシーンも、とても印象的深く心に残る。たぶん演技者が役に見事に嵌った福山雅治ということもあるのだろうが、当初、唐突に感じた違和感も消え、出会いのシーンとしては秀逸だ。