──一言一言、言葉の使い方に徹底的に拘っておられるんですね。
「増やす」という言葉があると、いくつかの選択肢で迷った時に「つくる人が増える」方を選ぼうとしますよね。このように、常に理念が役に立っているのか、振り返り続けることが重要です。
価値観を共有する「シンボリックなルール」の効能
──会社が大きくなってくると、そうやって理念を見直すだけではなく、経営者として組織を管理したいという思いが出てくるのではないかと思います。特に御社は自由を重視されているので、その分葛藤が大きいのではないかと。その辺りは、どのようにして乗り越えておられますか?
まず話の前提として、「自由」というのは物理的な話ではなく視点の話です。
どういうことかというと、たとえば学生が校則で「茶髪禁止」と言われ、それに反発して茶髪で登校してきたとして、その子が「自由」かというと、むしろよっぽど不自由な感じがしませんか? 逆に、自然と校則を守れる人って「自由」だな、と思うのではないでしょうか。
自由かどうかというのは、つまりは視点の柔軟性なんですよね。それぞれの考え方を認めた上で、自分がどう行動するか、ということを大切にしています。
それを踏まえた上で、組織として集まる以上何らかの共通のルールが必要になってきます。できるだけ少ないほうがいいとは思うんですが、人が増えるにつれてルールが増えるのは仕方ありません。
その中で大切にしているのは、「シンボリックなルール」を作るということですね。そこがちょっと他の会社と違うところかもしれません。
──「シンボリックなルール」ですか?
大組織になると、昔はルールで決めなくても感覚で伝わっていた大切なことが伝わらなくなったりします。そういった大事な価値観を伝えるために「シンボリックなルール」を活用しています。これは、ルールが実際に使われていなくても、「そういうルールがある」と伝わることに意味があります。
例えば、サイコロを振って給与を決める「サイコロ給」も、極論誰も振らなくたっていいんです(笑)。社長だけがサイコロを振っていても、そのルールに込められた価値観は十分伝わるでしょうから。
──サイコロ給の場合、「給与に対しても柔軟な視点を持とう」という価値観の伝播がルールを作る目的で、決してルールを徹底することが目的では無いということですね。
そうです。そして「何でこんなルールがあるのか」を考えてもらう。
ルールの案は基本的には人事部が主導で出すんですが、社員全員で考案したりすることもあります。ルールの持つ意味を考えるプロセスを重視しています。
とはいえ、状況に応じてルールが必要なくなる時もありますし、形骸化してしまう時もあります。新しいルールを作ってみないと分からなくて、定着しないことだって少なくありません。
──柳澤さんの中で、「こうなったら続けろ」「こうなったらやめろ」というルールの撤退基準はあるんでしょうか?
ルールを考えている側も、自分で自分の本当にやりたいことが分かっていないということがあるんですよね。「みんなやりたがらないからしょうがないな」と自然消滅していく程度のルールだったら、それはつまり自分もそこまでやりたくなかったってことだと思います。もし経営者が必要だと本気で思うなら、やり続けるべきだと思います。
ただし、社員との対話を通してやりたいこと、大切にしていることが変化してくるものなので、まずは挑戦してみるしかないのではないでしょうか。
連載:起業家たちの「頭の中」
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