これはファッションブランド「3.1 Phillip Lim」が一貫して掲げるメッセージだ。 時代の潮流に迎合するわけではなく、デザイナーであるフィリップ・リム自身の身体感覚や、フレンドシップの中から得た実感にもとづいて、エレガンスとモダンラグジュアリーを共存させたコレクションを打ち出し続けている。
19AWシーズンは、「The Woolmark Company」とパートナーシップを築いて、初めての試みとなるサステナブルコレクションをローンチした。そこには、広く世界を俯瞰する視点と、内省的な思索の層が混じり合っている。
今回は、日本のクラフトマンシップに精通し、世界へ広げる活動をしている中田英寿を招き対談を実施。2人の出会い、クリエイションの源泉、そしてサステナブルコレクションに込めた思いなどを聞いた。
情熱を持てることを続けるのが人生
──早速ですが、フィリップさんは、どういった経緯でファッションの世界に入りましたか?
フィリップ:僕はカリフォルニアのオレンジカウンティで生まれ育った。何もない保守的な街だったから、ファッションなんて遠い世界。両親は中国からの移民で、最初はカンボジアに住んでいたんだけど、革命が起こってタイに一時的に移住し、支援を受けて1974年にアメリカに渡ったんだ。だから、まず生きることを最優先に考えなくちゃいけなかった。
必然的に、僕はビジネスパーソンになってお金を稼ぐのが当然の道だったんだけど、経済学を学んで、ドロップアウトする前に、初めてファッションの業界でインターンシップをして……そこからいまの仕事に続いている。
──当時、家族からはどんな反応が?
フィリップ:ファッションの道に進むと告げたとき、母は悲しんでいたよ。母は縫製工場で働いていて、社会的には地位の低い仕事だった。僕には成功してほしいと願って、教育も受けさせたのに、自らそれを投げ出して私のようになるのかと。
彼女のなかでは、洋服のデザインをすることと縫製工場に勤めることの違いがわからなかったんだと思う。理解してもらうのに時間がかかったけど、今は誇らしく思ってくれているよ。
──中田さんはいかがでしたか?
中田:僕は8歳の頃にサッカーを始めたけど、家族からの期待みたいなものはなかったかな。当時はサッカーのプロリーグ自体がなかったし、プロになるという発想もなかったけど、情熱はあったから続けていた。14歳の時にU-15日本代表に選ばれて、U-17にも出場して、ドイツやフランスでプロと戦う機会があって、そこで初めて世界を知ったんだ。
フィリップ:簡単そうに言うよね、神童だよ(笑)。
中田:情熱を持って続けていたからかな。僕が子どものときのほうが、少し気が楽だったかもね。今は子ども達にはプロになるためのレールがある。そういう意味で、僕の年代よりプレッシャーが大きいと思う。
フィリップ:僕にも、感覚的に似ている部分がある。僕はただ洋服をつくるのが好きで、仕事としてやっているとすら思っていないんだ。小さい頃はMTV(アメリカの音楽専門チャンネル)を観ていても、歌じゃなくてスタイリングに夢中になったし、母が買ってくれる既成の洋服に満足できず、自分でカスタマイズをしていた。
中田:僕にとっても、プロになれるかどうかはあまり重要じゃなかったな。常に進化したいし、プロは進化の過程における特定の期間でしかない。それで、29歳でやめたんだよね。比較的早い引退だったけど。
フィリップ:確かに早いよね、深い気づきがあったんだろう。勇敢だと思う。
中田:幼少期から、プロになることがゴールではなかったからね。僕にとっては、情熱の持てることを続けるのが人生だから。
フィリップ:ヒデはその姿勢をずっと続けている印象がある。常に学びを追求しているし、いつも自分の行動に情熱を持っている。
中田:よく聞かれるんだけど、人を助けたいとか、ビジネスがしたいとか、そういうことじゃなくて、自分が好きだからやっているだけなんだ。旅や文化の深淵を探るのが好きだし、人と会うのが好き。
フィリップ:とてもシンプルな動機。
中田:フィリップが自分のブランドをシンプルな動機で始めた頃と今とでは、社会の環境が大きく変わっているんじゃない?
フィリップ:そうだね、難しい時代だね。洋服の可能性よりも、ビジネスやセレブ、ソーシャルメディアといった、洋服とは関係ないところがプライオリティになりつつある。新しい世代は特にプレッシャーが多いし、型にはまりやすい時代だよね。クリエイションの定義も曖昧になってきているし、「成功」に対する考え方も変化している。