音楽は記憶を呼び起こし、五感を揺さぶる。思い出に直結したり、元気づけられたり。切ない歌詞にマイナーラインが掛け合わされたら、経験していない失恋すら、自分のもののように思いを馳せることができる。
ローマ時代末期に成立したリベラル・アーツの「自由七科」は、人間が自由であるために必要な教養とされた。そのひとつに「音楽」がある。はるか昔から、音楽は私たちの自由な思想を支えるための重要な役割を果たしてきた。
カズオ・イシグロと「音楽」
2016年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロは寡作で知られる作家だが、ほとんどの作品に「音楽、または音楽家に代替される何か」がわかりやすく登場している。
イシグロの最長作品である『充たされざる者』は、主人公はじめ登場人物のほとんどが音楽家で、音楽が街の生命線となっている。日本でもドラマ化された『わたしを離さないで』は、タイトルと同じ曲が、物語のターニングポイントを担う装置として登場する。初の短編集も『夜想曲集』と題され、歴史の循環という主題が「レコードの回転」に例えられている。
ではなぜイシグロは、さまざまなテーマを、音楽で例えるのか。
音楽の情動的な力
音楽は、人の情動に作用する芸術行為のひとつとして、人種も貧富も関係なく、平等に私たちのそばにある。著名なピアニストのシーモア・バーンスタインは「音楽は心にある普遍的真理──つまり感情や思考の底にある真理に気づかせてくれる手段なのだ」(注1)と、長年の音楽人生を振り返り語る。
こうした影響力は個人に対してだけでなく、社会に対しても同じように作用する。音楽はときに文化的な材料として、社会活動の発展も支えてきたからだ。
イシグロがもっとも影響を受けたという60年代中盤以降のミュージック・シーンも、こうした音楽の力、“パワー・オブ・ミュージック”が社会的規模で最大化された時期ともいえる。
当時は、激化するベトナム戦争への反戦の意味も込められた、メッセージ性の強い歌詞とメロディーが世界中を駆け巡った。音楽を介して多くの人びとが思いを訴えた。
イシグロはその時代にヒッピーに憧れ、敬愛するボブ・ディランの曲からは「言語的な影響を受けている」と語る。(注2)そしてギターを手に作詞作曲をするようになり、のちにミュージシャン活動をし始めた。
イシグロが音楽をテーマにするのは、人間が自由であるための素養である音楽が、その情動的な力で世界をも動かした時代に、自身も音楽による影響を―言語的な意味も含め―受けたから。そう仮定したうえで、ひとつ、気になることがある。