慶應義塾大学医学部生理学教室の岡野栄之(おかのひでゆき)教授
最適な時期に細胞を移植するには
脊髄に傷を受けて直後1〜2週間の「急性期」には炎症が起こり、また傷の影響でニューロンも細胞死を起こしている。4週間以後、「慢性期」になると炎症はおさまっているが、傷の周辺にかさぶたのように固まる「グリア瘢痕」ができ、新しく育つニューロンの邪魔をする。
そのため、炎症が収まりつつあり、グリア瘢痕も完全にできあがっていない、傷を受けて2週間から4週間までの「亜急性期」、病状の進行と回復力が拮抗しているこの時期が移植に最適だ。
iPS細胞を使った移植治療の際、拒絶反応を起こさないためには患者本人の細胞を使ってiPS細胞を作成した方がいい。しかし、iPS細胞を最初から作成するには3カ月、神経幹細胞へと分化させるには3カ月、合わせておよそ半年の時間が必要となる。その上、質や安全性の検査には半年以上の時間を要し、それでは移植に最適な時期を逃してしまうことになる。
臨床に使えるiPS細胞由来の神経幹細胞をあらかじめ用意してストックしておくことができれば、この問題は解決する。京都大学iPS細胞研究所(CiRA)の山中教授らは「iPS細胞バンク」とも呼べる「再生医療用iPS細胞ストックプロジェクト」に力を入れている。ここからiPS細胞の提供を受け、そこから調整した神経幹細胞を用い、慶應義塾大学病院で脊髄損傷による完全麻痺患者に移植する臨床研究計画が現在進行中という。
(提供:岡野栄之氏)
注目を集める再生医療市場 いちはやく成果を患者へ
再生医療研究の恩恵を一般の人もいち早く、安心して受けるため、再生医療にまつわる制度の整備も急速に進みつつある。2013年には再生医療推進基本法、再生医療安全確保法などが相次いで成立。2014年には「条件及び期限付承認制度」が施行された。
この制度は、再生医療関係の製品の有効性が推定され、安全性が確認された段階でいったん承認が下り、患者の治療を行いながらデータを収集して本承認取得を目指すことができる制度で、これらの条件整備により日本は世界の再生医療関連企業から注目を集めているという。
こうした状況も見据えつつ、岡野教授は現在の脊髄損傷治療の研究を慢性期患者への治療、また、脳梗塞治療などへの応用へと広げていきたい考えだ。
岡野栄之(おかのひでゆき)◎慶應義塾大学医学部生理学教室教授。日本再生医療学会副理事長を務めるなど、脳神経領域の再生医療、iPS研究における世界の第一人者。日本医師会医学賞、文部科学大臣表彰(科学技術賞)「幹細胞システムに基づく中枢神経系の発生・再生研究」、紫綬褒章「神経科学」、その他受賞多数。2019年2月には、iPS細胞を使った脊髄損傷治療の臨床研究計画を発表し、話題となった。
参考文献
岡野栄之『脳をどう蘇らせるか』岩波科学ライブラリー246,岩波書店,2016年
塚崎朝子『iPS細胞はいつ患者に届くのか 再生医療のフロンティア』岩波科学ライブラリー218,岩波書店,2013年
日経サイエンス編集部編『人体再生 幹細胞がひらく未来の医療』別冊日経サイエンス152,日経サイエンス社,2006年