キャリア・教育

2019.09.20 08:00

プロ野球選手から公認会計士に。経験者だからわかるセカンドキャリアの難しさ

奥村武博 公認会計士

奥村武博 公認会計士

高校3年生だった奥村武博は、1997年、阪神タイガースにドラフト6位で指名され、入団する。だが、彼のプロ野球人生は順風満帆とはいかなかった。4年目の2001年秋、寮の電話が鳴る。「来季は契約しない」と伝えられた。
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高校球児の夢の職業、プロ野球選手。だが、現実は甘くない。1億円プレイヤーになれるのも、退団後に野球界に残って食べていけるのも、ほんの一握りだ。選手としての寿命は短く、そしてその多くは、サラリーマンの生涯年収にも届かない。

現役を引退した後、彼らにはどのような選択肢があるのか? 

自分が何をしたいのか、何ができるのか、奥村が悩んだ末に選んだのは、公認会計士だった。
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「高校で簿記の授業があって、学習経験があった。このような仕事は嫌いではなかったことを思い出したのがひとつの理由です」

奥村が通っていたのは、岐阜県立土岐商業高校経理科。卒業までに日商簿記2級の合格を目標としていた。それは野球部員も例外ではない。奥村は、1年生の時に3級、2年生で2級に合格していた。ちなみに、阪神からドラフト指名を受けたときには、JR東海への就職が決まっていたという。それを振り切ってのプロ野球への挑戦だった。

高校時代に簿記の検定に合格していたとはいえ、公認会計士は会計分野の最難関資格。試験科目は簿記だけではない。試験に合格するためには、経営学や租税法などもクリアする必要がある。試験勉強を始めて9年、合格までは長い道のりだった。

実際にプロスポーツの世界を経てビジネス界で活躍する奥村は、スポーツ選手の引退後をどう考えるのか?公認会計士として活躍し、セカンドキャリア支援にも力を入れる奥村に、プロスポーツ選手が抱える課題とその背景を聞いた。

突然手にする大金が金銭感覚を狂わせる

──高校時代も、阪神入団後も、野球中心の生活をされていたと思います。そこから公認会計士の試験勉強をする、ビジネス界に転身することを考えると、心理的なハードルは高かったのではないかと想像します。

奥村 引退した時は、プロ野球選手をしていたことは、ビジネスの世界では何の価値も生まないと思っていました。野球以外の世界のことは何も知らなかったし、イメージもわかなかった。だから、最初は仕事のイメージが持ちやすい飲食業で働きました。

でも、飲食業も甘い世界ではありません。繁盛させ続けるのは簡単なことではないし、性格的な向き不向きもあります。そこで、別の道を探すことにしました。

──とはいえ、野球選手と公認会計士は、全く違う世界にも思えます。

奥村 そうですね。でも、僕は公認会計士の勉強をするなかで、ビジネスも野球も本質は同じなのだということに気付いたんです。どちらも自分を成長させていく手段であって、何をやるかの違いでしかない。そのことに気付いたら公認会計士の勉強に親近感が湧いて、成績も伸びていきました。

──プロのスポーツ選手の中で、現役時代から引退後まで十分な報酬が得られる人はひと握りだと聞きます。お金とキャリアという観点から、スポーツ選手が直面する問題について教えてください。

奥村 まず引退後に直面するのが、お金に関する問題です。例えばプロ野球選手なら、高校を卒業して、社会人経験がないなかで入団し、いきなり大金を手に入れることになります。同世代の一般的な金銭感覚からズレた生活をすることになる。そのズレを修正するのに時間がかかるんです。ここに、引退後に苦労する大きな要因があります。

──普通の高校生にとって、入団時の契約金は高額です。どのように管理しているのでしょうか。

奥村 入団したばかりの選手たちは高校を卒業した直後ですから、契約金は親に預けるというケースが多いですね。親がお金に明るい方に管理をお願いすることもあります。あとは、ここまで育ててくれたことへの感謝を込めて、親のために使うという選手も多いです。
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取材・文=Forbes JAPAN編集部 写真=山﨑裕一

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