「運命の電話」から45億円で会社を売却するまで

Forbes JAPAN 9月号(7月25日発売)の特集、「SELF MADE WOMEN 100」。そのカバーストーリーを、前後編でお届けする。イスラエル、日本、アメリカと3回起業したカプリンスキー真紀を突き動かすのは、不可能を可能に変える「無敵感」だった──。


2017年3月、ある金曜日の午後、自宅にいたイスラエル人実業家のガイ・カプリンスキーに電話がかかってきた。自宅は米シリコンバレー。近くは“グーグル・キャンパス“と呼ばれる米アルファベットの広大な本社があるテック企業の中心地で、閑静な住宅街も広がっている。ガイは、子どもたち3人がいるリビングを避けて、庭に出た。相手はこう切り出してきた。

「CEOが今日中に返事が欲しいと言っている」 電話の向こうは米ゼネラル・エレクトリック(GE)のM&A担当者だ。会社の売却交渉をして数カ月。正直に言えばガイの心はまだ揺れていた。家の中にいた妻の真紀を呼びに行った。そんなガイを見透かしたように、真紀はきっぱりと言った。

「これで行こう!」 

真紀の一言で、2人が創業したIQP社のGEDigitalへの売却が決まった。売却価格は4000万ドル(当時の日本円で約45億円相当)だった。

カプリンスキー真紀とガイの夫婦は、米シリコンバレー、日本、イスラエルを股にかけて事業を行う連続起業家だ。IQPは、2人が2度目につくったIoT関連のソフトウェア会社。当初は資金調達に苦労したが、米国移転を経て、GE Digitalと話を始めると、とんとん拍子で売却が進んだ。1年後には10人のエンジニアらを引き連れてGE Digitalに入社していた。

売却が決まったとき、どんな気持ちだったのか。真紀に尋ねた。「ほらね、そら見たことかって。何でもできるって思いました。そう。無敵感です」。

売却の電話の後、しばらくして真紀はガイから次の起業のアイデアを聞いた。「今度は空飛ぶ車をつくるべきだと思う」。彼と一緒なら不可能を可能に変えられるかもしれない─。

大人しい子どもだった

「幼い頃の私を知っている人は、多分驚くと思います。すごく大人しかったです。でも、こうだって直感的に思ったら曲げない子でしたね」

真紀は1977年に名古屋市で生まれた。幼稚園の頃の記憶は「自分の手のひら」だ。幼稚園に行っても靴箱のそばから動けず、ずっと手のひらを見つめていたからだ。 「トラウマがあったんだと思います。3歳の時に父親をがんで亡くし、母親は仕事であまり家にいませんでした。5歳の時に、自分の目の前で2つ下の妹を交通事故で亡くしました。それから、なんというか、身動きがとれない感じでしたね」

この体験はその後の人生に大きく影響した。「辛くても2人の分まで頑張らなきゃいけない、諦めてはいけないと思うようになりました」。
次ページ > 常に一番上を目指す

文=成相通子、瀬戸久美子

この記事は 「Forbes JAPAN リミッターを外せ!」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

タグ:

連載

セルフメイドウーマン

ForbesBrandVoice

人気記事