キャリア・教育

2019.09.12 12:10

「運命の電話」から45億円で会社を売却するまで


人生の舵を自ら大きく切ったのは、大学進学の時だ。周囲の反対を押し切って英国留学を決意した。留学中の励みは祖父の手紙だった。ガスの製造販売業をしていた祖父母には、「合格点を目指してはいけない。志高く、いつも一番上を目指しなさい」と常々言われていた。その言葉通り、真紀は首席で大学を卒業。「やればできる」と自信をつけた。
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ロンドン大学で心理学の修士課程に進んだが、イスラエルの心理学研究に興味を持ち、同国に飛んで心理学の修士号を取得した後、2000年に商社の日商岩井(現:双日)のイスラエル事務所に入社。後に夫となるガイ・カプリンスキーと出会った。

実は、最初は2人の仲はそれほどよくなかった。双方、意見が強くて折れない。それが一転して「無敵」のコンビに発展したのはなぜだろうか。
意見が合わない2人だったが、一緒にプロジェクトを進めるようになると、お互いあることに気づいた。ガイには先見性と発想力、真紀には決断力と実行力がある。双方の強みと役割。それを互いが認め合ったとき、2人の関係は変わっていった。

02年、日商岩井のイスラエル事務所が閉鎖されると、今度は2人でWBOというコンサルティング会社をイスラエルで設立することにした。政府関係プロジェクトを請け負う業務だが、最初は実績もなかった2人に仕事を依頼する企業は見つからず、独立から1年以上無報酬の状態が続いた。2人は週末にレストランで働いてお金を稼いだ。
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それでも真紀の確信は揺らがなかった。2年目から事業は軌道に乗り、2人は04年に結婚。3人の子宝に恵まれ、会社を経営しながら安定した生活を送っていたが、日本への思いは募っていった。

(後編へ続く)

文=成相通子、瀬戸久美子

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