どう「広く住まう」か
飯島邸は2014年、「森をよけた住まい(飯島さんの家)」として「東京建築士会住宅建築賞」を受賞している。「森をよける」とは一体、どういうことなのだろう。
西久保氏は初めて飯島夫妻の土地を見た時、「正直、よくこの狭いのを買おうと思ったなあと思った(笑)」というが、同時にそもそも「広い」って何だろう? と考える機会にもなった。そして、数字で表せる面積じゃない広さがあるのでは、と考えたという。
「もちろん、『面積が少しでも大きい家』にするのなら、ギリギリまで大きく作るのが一番いい。でも、パンパンに作るのではなくて、広いと思えるような気持ちよさを追求したいと思ったんです。それで、逆に『削る(へこませる)』ことを考えついたんです」
わざわざ外壁2カ所をカーブで食い込ませた、西久保氏のラフデザイン。緑の円は「想像の樹木」。
たとえばこの家は最寄り駅から帰る道のど真ん中に大きな木があって、よけなければいけないから本当なら不便なのに、気持ちいいな、という心境になる。それは、街や人が、もともとある木を切って道を作るのをやめたり、昔からある塀を、倒さないであえてよけて暮らす謙虚さややさしさを感じるからかもしれない。また、「木をよけて、迂回する」というユーモラスさもあるだろう。いずれにせよそういう豊かさが心にあれば、「不便だけどなんかいいよね」と思う余裕が生まれる。
「そんなふうに、『自分よりも先にそこにあったもの』を大事にして、自分の何かを『差し出す』ことが、人の住む町を魅力的にすると思うんです」と西久保は言う。
そして飯島夫妻の家も、そういうユーモラスさ、謙虚さでデザインできないかなと思ったという。この家よりも先にあった街並みや、暮らしている人たちに「差し出し」ながら住める家にできないかなと。
「数字的な広さの概念に逆行して、あえて何かをよけて、削る。ある意味挑戦的な、『逆説の実装』ではあったのですが、そうすることで、飯島さんの家は『街の仲間入り』できるんじゃないかなと思ったんです。街の一部になれて、『この家は、この街全体に続いている』と感じる住み心地が手に入ったら、それはもう、途方もなく広い。建ぺい率の限界までパンパンに建ててたかが2平米を稼ぐよりも、はるかに広く暮らせるだろうな、と」